ブログ開設から1ヵ月
気がつけば、ブログの投稿数が31になっていた。
開設から1ヵ月が経ったのだ。嬉しい!!✨
このブログを始めたとき、私は将来のことで不安でいっぱいだった。
本当に焦っていた。
けれども、不安を打ち消すために何をすればいいのかわからない。仕事や資格のことを調べたりもしたが、すぐに何かを変えられるわけでもない。
とにかく今すぐ、一秒でも早く、私は現状を変えたかった。
現状というのは、お金や仕事のことだけでなく、自分の内面的なことも含まれる。
かつては目標があって、何に対してもがむしゃらだった私が、この3年ほどは家のことを淡々とこなし、自分にストレスがかからない無難な生き方をするようになってしまっていた。
正直、それまでの歳月で自分の身に起きたことを考えると、その程度のお休み期間を設けてもよかったんじゃないかと思う。いっときは精神的に追い詰められて、パソコンの前に座ると冷や汗と動悸が止まらなくなるほど、身も心も病んでしまった。睡眠時間2hぐらいで、仕事と家事の両立をずっとしていた時期だってある。
子どもの頃から習い事ばかりで、学生時代はずっと勉強漬け。時間に余裕のあった時期など、私の人生にはほとんどない。
だから、ご褒美だと思えばいいんじゃないの? ちょっとは自分に優しくしてもいいんじゃない?
そう思いもするのだが…。
心の中で、「こんなのでいいのかなあ」「何かしなくちゃいけないのではないか」という、ほのかな焦りはずっとくすぶっていた。
とにかく何かしなきゃ。
なんでもいい。お金にならなくてもいいし、誰の役に立たなくたって。
そんなときふと、堀江貴文氏が1年間毎日ブログを更新していた、と誰かが言っていたのを思い出した。なんでもないことのようで、そういった習慣を毎日続けるというのはすごいことだと。
確かに、1日も欠かさず、毎日ブログを書くというのはなかなか骨の折れる話である。
ただの個人的な日記でも面倒なのに、ましてやブログとなると、他人が読むことを前提としているわけで。
だったら意味のわからない文章ではいけないし、心の中にあることを全部ぶちまけてよいわけでもない。他人を傷つけないよう、言葉選びへの配慮だって必要だ。なるべくわかりやすく、または面白く書こうという意気込みもいると思う。
それを毎日かあ。
何もせずに酒を飲んで寝たい日もあるだろうに、毎日ってのはすごいぞ、うん。
そう思って、私もとりあえず1ヵ月間、毎日ブログを書くことにしてみた。
なぜ1ヵ月かというと、1年という大きな目標をいきなり立ててしまったら、挫折する可能性がデカいからだ。
この数年、筋トレ以外のことで、何かをしようとして続いた試しがない。
自分との約束を反故にする行為を続け、私はすっかり自信と覇気をなくしている気がした。
だからなんでもいいから、自分との約束を守りたい。
1カ月間やり遂げたら、自分の中の何かが変わるかも。
そう思ってなんとか続けてきた。
約束事はひとつ。
「今日はカフェに行ってきた。楽しかった」みたいな短文ではなく、千文字以上の中文にするということ。
続けた結果…。
変わりました!!
前より楽観的になったし、自信もついたように思う。
そして新しい目標もできた。最近はこのことに夢中で、ついブログを書き忘れそうになることもしばしば。
私はこうなるために、ブログを書きはじめたんだろうなあと思う。
読者さんも特にいないし、アフィリエイトで稼ごうとしているわけではないから、本当にただの一銭も儲けてない。それもでいいいのだ。自分の心に少しでも変化が生まれれば。
今後はすごく短文だったり、更新が途切れる日も出てくると思う。
でもいい、今後はゆるりと続けていければ。
1年後にはきっと、もっと何かが変わっているはず。
人生どんなことも楽しまなきゃ損です。年金が80歳からだとか言われて、なんだかもう悲惨な日本になってるけど、そこで生きている以上は幸せを感じる努力をしないとね。
さあ、頑張ろう♪
忘れられない親友
9月に入ってすぐのブログで、今月は大好きな人のお誕生日が3つもあると書いた。
もうひとりは、昨日のブログでお祝いした、キン肉マンのキャラクターであるロビンマスク。
そしてもうひとり。
私にとって忘れられない親友のマミちゃんだ。9月17日が来るたび、毎年彼女のことを思い出す。
マミちゃんとは、小学5年、6年と同じクラスだった。
色白で、眉毛が濃く、まつ毛も濃い彼女は、西洋の人形みたいな顔をしている。おまけに珍しい苗字だったので、私は1年生のときから彼女の存在と名前を知っていた。
当時の私は、友達を作るのが下手な子で、休み時間はひとりで本を読んだり、絵を描いているというタイプだった。
新しいクラスでもまた一人ぼっちだろうなあ、なんて思いながら、そのときもまた本を読んでいた。すると、たまたま近くの席だった彼女が、「何それ、勉強?」と声をかけてきたのだ。
話してみると、驚くほどウマが合い、アニメや漫画、格闘ゲームが好きなところも同じだった。
すぐに交換日記を始め(当時はスマホやSNSがなかったから、こういうツールが流行っていた)、お互いの頭の中を深く知るたび、ますます気が合うことがわかっていく。また互いに塾や習い事をしているのも同じで、そうしたことへの愚痴を吐くちょうどいい相手にもなっていった。
小学校を卒業後、私は地元の公立中学へ進み、マミちゃんは私立の中学を受験してそちらへ進んだ。彼女のお母さんは教育熱心な人だった。
学校が別になったら会うこともなくなるかと思っていたが、定期的に電話で連絡をし、最低でも月に一度ぐらいは会っていたと思う。交換日記も、その後、携帯電話が普及する高校一年のときまで続くことになる。
携帯のおかげで連絡が取りやすくなったこともあって、高校も大学も違うところに入ったのに、彼女とは付き合いが続いていた。
彼女は時間にルーズで、待ち合わせにはたいてい遅れてくる。だからどこかで待ち合わせることは絶対にせず、遊びに行くときは、私の家に誘いに来てくれと言っていた。
そうやってお互いのよくないところまで知り尽くし、受け入れている仲だった。他の友達に話せないことでも、マミちゃんにだけは話すことができた。
付き合っていた彼氏と最悪な別れ方をし、悲嘆に暮れたときもだ。
マミちゃんには包み隠さず色んなことを話せたし、彼女も真剣に聞いてくれていた。
しかもそれが11月のことだったので、クリスマスの予定がなくなった私に、彼女は「今年は私とデートしよう!」と言ってくれた。その上、レストランまで調べて予約してくれ、元気づけようとしてくれたことを一生忘れない。
そんなマミちゃんに、私はもう、かれこれ10年以上会えていなかったりする。
理由は定かではないが、突然、音信不通になったのだ。
大学3年のとき、就職活動が始まる直前のこと。
私は普通に就活をすると言ったのに対し、彼女は就活はせず、漫画家の道を目指すと言った。彼女の実家は自営業だったので、いざとなったらそこでアルバイトをしたり、社員になれるという安心感もあっただろう。
「えー、マジ? すごいね!」
私は無邪気に言った。ひょっとしたらなれるかも、と思ったからだ。
マミちゃんは、プロの漫画家も顔負けと言っていいほど、本当に絵が上手かった。小学校の頃すでに大人より上手い絵を描いており、それが年々上達するのを見ながら、画家や漫画家になる人というのは、こういう人なんだろうなと思ったものだ。
「就活って結構大変そうだから、しばらく連絡とかできないと思う。だから終わったらまた連絡するね。お互い頑張ろう!」と言って、そのときは別れた。
実際に就活をしてみると、面接の日程とバイトの調整だけでも大変で、面接に落ちたらものすごく凹むし、そしたらまた新しい求人を探さねばならないし…で、すごく忙しい。精魂尽き果てかけた頃、ようやく「この会社!」と思えるところに合格し、しばらくリフレッシュ期間を過ごした後に、久々にマミちゃんにメールをした。
そしたら、、、
返ってこない。
ズボラな彼女が、メールの返信を怠るのは日常茶飯事だった。そういうとき、『メール読んだ?』と再度送ると、謝罪とともにようやく返してくれるのだが、それでも駄目だった。
仕方なく電話をかけてみたが、繋がらない。
自宅のほうへもかけたが、誰も取ってくれなかった。
何かあったのかと心配になり、母に相談すると、
「え? マミちゃんのお父さん、この前犬の散歩してるの見かけたよ。だから引っ越ししたとかではないと思う」
え~。
じゃあ電話に出なかったのはたまたまか。
しかし、その後も電話をかけてもつながらず。
急ぎで会いたいわけではなかったので、私はしばらく待つことにし、それでも向こうから連絡がなければ年賀状でメッセージを送ろうと思った。彼女とは、小学校のときから年賀状もずっと出し合っていたからだ。
けれどその年、マミちゃんからの年賀状はなかった。
相変わらず、メールの返事も。
何か怒らせるようなことをしたのだろうか? でもこの数か月間、会っていないどころか、連絡も取り当えていないし、怒らせる余地がない。
両親に相談すると、「連絡したくなったら、向こうからしてくるよ。こういうときはしつこくしても仕方ないし、もう放っておきなさい」と言われた。
私もそれが正解だと思った。
何しろマミちゃんは、本当にズボラなところがあるので、過去にも音信不通になったり、なんの連絡もなしに約束をすっぽかされたこともあったのだ。ただこんな長い期間、連絡がとれないのは初めてのことだったので、やはり気がかりではあった。
だけど、マミちゃんは今、夢に向かって必死なときなのかもしれない…。
だって漫画家を目指すって大変なことだ。絶対すんなりとはいかないし、何度も失敗を重ねて落ち込むことだってあるだろう。
そんなときにしつこく連絡したら、迷惑だ。寂しいけど遠くから応援することにして、私も社会人としての新生活に集中することにした。
それからさらに、1年が経ったある日。
SNSに、知らない人からメッセージが来た。それも2人。
開封してみると、いずれもマミちゃんの大学の友人からのもので、『彼女とずっと連絡がとれないのだけど、何か事情を知りませんか?』という内容だった。
これには驚いた。
大学の友人といえば、つい最近まで交流していただろうし、卒業式でも顔を合わせたはずだ。けれど彼女たちの文面からすれば、マミちゃんは卒業式にも出ていない感じが読み取れた。
ひょっとして、深刻な病気にでもなっているのではないか?
さすがに心配になって、私はマミちゃんの自宅を訪問することにした。親御さんとも何度も会っていたから、向こうも私のことを覚えており、事情を説明すると、「ちょっと待ってね」と家の中に入っていった。
しかし、それから20分以上は経っただろうか。
再びお母さんが出てきたと思ったら、「ごめんね。あの子インフルエンザで、今は会えないの」と言う。
嘘だ、と思った。
だったら最初からそう言えばいい。私はいったい、なんのために20分以上も外で待たされていたというのか。
いい加減腹が立ち、私も少し口調がキツくなった。
とりあえずメールアドレスと携帯番号を書いたメモを渡し、大学のご友人が心配しているから、きちんと連絡するよう言ってくれとだけ伝えた。
このマミちゃんの母親というのは、いわゆる「ええカッコしい」のタイプで、都合の悪いことを隠すところがある。
そういうところがよくない影響を与えるのだろう。マミちゃんのお姉さんも、せっかくいい大学に入ったのに、拒食症と鬱を発症して退学したという過去があった。幸いそちらはすぐに回復したが、マミちゃんもなんらかの精神的な病に陥ったのではと私は思っている。
それから何度も、年賀状や暑中見舞い、手紙などを出したが、返事が来ることはやはりなかった。
うちの母だったら、友達の気持ちを無視する私をきっと怒るだろうし、それでも私が何もしなければ、代わりに連絡を返して事情を説明すると思う。
でも彼女のお母さんは、そういうことを一切しない。人の親御さんを悪く言うのは気が引けるが、私はこの件に関しては、マミちゃんのお母さんに対して今もすごくモヤモヤしている。
マミちゃんが今、どうしているのかわからない。
1度だけ、犬の散歩をしているところを母が見かけたそうだが、もう何年も前のことだ。
そんな友達、もう忘れちまえと思われるかもしれないが、彼女は私の人生に大きな影響を与えてくれた人だった。
彼女のお陰で、私の性格は明るくなり、クラスメートとも普通に喋れるようになった。
漫画やアニメ、ゲームの楽しさを深めてくれたのも、いろんなジャンルを教えてくれたのも彼女だ。
何より、クラスや学校、趣味が変わっただけですぐ人間関係の切れる私が、ずっと違う学校へ通っていようが、何年経とうが、付き合い続けていた人である。
お互い成長するごとに、話題が変わっていくことも楽しかった。
会えなくなって、今もすごく寂しい。
年相応の楽しさや愚痴を、また思う存分言い合いたい。お婆ちゃんになっても、ずっと仲良くしたいと本当に思っていた。
けれどもう、それは叶わないと思う。
その代わり、毎年9月17日が来るたび、私はこう願うことにしている。
彼女が今、元気で楽しくやっていますようにと。
どうか幸せでありますようにと、心から。
仮面の貴公子の誕生日
9月18日。
今日は『キン肉マン』に登場する私の大好きなキャラクター、ロビンマスクの誕生日だ。
うちの主人は、少年ジャンプでキン肉マンの連載を毎週読み、小学校でごっこ遊びをしていたという、いわば『ガチ世代』である。
一方私は、子どもの頃、夏休みの朝の時間帯に、しょっちゅう再放送されていたのを見ていた世代だ。ちなみに当時はドラゴンボールが大人気だった。
ドラゴンボールのキャラクターが、『かめはめ派』とか『ギャリック砲弾』とか、現実には絶対ありえない技ばかり使うのに対し、キン肉マンのキャラクターが出すのはプロレス技だ。実際にやろうとすれば無理なんだけど、「ちょっと頑張ればできるかもしれない…?」と錯覚させられる。そのせいか、技がキマると、本気で痛そうに見えるのが印象的だった。
今、キン肉マン完璧超人始祖編のアニメが放送されている。
この情報を知ったとき、主人は大喜びして、子どもの頃の思い出を色々と語ってくれた。
当時は社会現象と言ってもいいほどのキン肉マンブームが起こり、とにかく盛り上がっていたそうだ。
また、ジャンプ黄金期と呼ばれていた当時の連載陣には、誰もが知っている伝説的タイトルばかりが並んでいて、その中で毎週必ずキン肉マンから読んでいたと主人は言う。
私もキン肉マンは好きだったので、またアニメで見られるのは嬉しかった。
ただ、かなり幼い頃にとびとびで再放送を見ていたため(習い事などで見れない日もあった)、話の内容まで詳しく記憶できていない。
そこでサブスクを使って昔のアニメを見たところ、徐々にハマってしまい、文庫本をまとめ買いした。そしてドカンとハマってしまったというわけだ。
もともと私は、マッチョな男が好きである。
それも、余分な脂肪をしっかり絞った細マッチョではなく、筋肉の上にほどよく脂肪の乗ったムチマッチョが好きなのだ。
キン肉マンの筋肉の描かれ方というのはまさにそれで、私の好みドストライクである。
おまけに私は、顔の見えないキャラクターというのにも昔から弱かった。仮面ライダーなどの特撮は、変身する前のイケメン俳優よりも、変身した後の姿が好きだ。
こんなにも自分の好みを兼ね備えたキャラクターが大勢いる『キン肉マン』に、なぜずっとハマらずに生きて来られたのかがむしろ謎だとすら思う。
それにしても、子どもの頃に楽しんでいたコンテンツを、大人になってから読んだりすると、当時とは感じ方が違うのが面白い。
昔はキン肉マンのギャグの部分ばかりを楽しんでいた気がするが、今はシリアスな部分にこそ醍醐味があるとわかる。
昔はキン肉マンとテリーマンが好きだったが、今は完全にロビンマスクとウォーズマンだ。ウォーズマンの過去を描いた読み切りを読んだときは、いかにも先が読めるベタ展開のオンパレードだったというのに泣いてしまった。いやむしろ、ベタだからこそいいのだ。人というのは結局、『ベタに弱い』んだとつくづく思う。
新アニメが放送されることになり、声優陣も新しい面子に総入れ替えとなったが、声優さんが変わることをこんなにも好意的に受け入れられたアニメというのは、私には珍しいかもしれない。
どの声優さんも好きな人ばかりだし、イメージピッタリだ。
また、神谷明さんがキャストの中に入っていて、しかもカメハメ師匠の役というのも大きい気がする。宮野真守さんにキン肉マンを引き継いだというのが、アニメの中でも感じられて嬉しかった。
今日、誕生日を迎えたロビンマスクだが、彼はつくづく謎なキャラクターだなと思う。
振れ幅が大きいというか、ぶっちゃけどういう男なのかいまだによくわからない。結構ツッコミどころの多い人でもある。
それなのに格好よく見えるし、実際人気があるから不思議だ。
郷里大輔さんの演じるロビンは貫禄があって、皆を引っ張っていくリーダーという雰囲気が強かった。
一方、新キャストの小西克幸さんの演じる彼は、強い男の色気と上品さが際立つ。
残念ながら、今回は正義超人が活躍する直前でアニメが終了してしまう。
だが、こんな中途半端なところで終わるはずはないので、必ず2期が作られるはずだ。今回も凄く面白かったが、そちらのほうがますます楽しみでならない。
最終回が放送される日は、夕飯に牛丼を食べよう。
ロビンマスクの大好物だというキドニーパイは、申し訳ないが作れないし、正直食べたいと思えない…。代わりに今日はケーキでも買ってこようと思う。
ベーグル!
ベーグルが大好きだ。
大阪の八戸ノ里に、とても美味しいベーグル屋さんがあって、そこのを食べて以来ハマった。
狭い店で、コロナが流行してからは特に入店人数を制限しているので、平日でも行列ができることが多い。しかも昼には売り切れる。
だから行く際は事前に商品を予約し、必ず開店前に着いて並ぶ。開店前であれば、せいぜい2人か3人並ぶ程度だ。ただひとりで沢山買っていく人も多いので、予約のできない人気商品はちょっと油断ならない。
そういう苦労があるせいか、最近足が遠のいている。
何しろ往復の電車賃だけでも結構かかるし、「食べたいな~…でもな~…」という感じで、しばらく行けていなかった。もしかすると、以前より多少は人気が落ち着いている可能性はある。
うちの近所にもいくつかパン屋さんがあって、美味しい店もあるのだが、どこもベーグルだけは置いていないのだ。スーパーの袋入りの既製品でもいいと思うが、それすら見当たらない。関西人にベーグルは受けづらいのだろうか。
最近、近くのスーパーの一角がベーカリーになった。よそのお店の出店ではなく、そのスーパーのオリジナルブランドのパンらしい。
何度か食べてみたが、味はまあ、値段に対して可もなく不可もなく、という感じ。
要するに普通。
だからほとんど利用していなかったが、先月、すごくベーグルが食べたい気分になっていたとき、そこの店で売っているのを発見した。しかも3個入り。
「やった、ベーグルあるじゃん!」
と、喜び勇んで買ったのだが、家に帰って食べてみると…、
何じゃこりゃあああ!! ベーグルじゃない!!(# ゚Д゚)
ベーグルというのは、食べ物に対してタブーの多いユダヤ教徒が発明したパンだ。バターや卵といった脂質成分が入っていない。焼く前に生地を一度茹でるのが特徴で、他のパンと比べて目が詰まっていて、ずっしりと重たい感じがある。食感はムギュッ…!モチモチ…♡といった感じ。何しろ歯ごたえがあるので、あまりたくさん食べると顎が疲れる。
そのため、フワフワあるいはサクワクのパンが好きな人の多い日本では、好みが分かれると思う。ちなみに、うちの主人はあまり好きでない派だ。
そーれーなーのーにー!!
そのパン屋で買ったベーグルは、どう味わっても普通のパンであった!!
形がドーナツ状というだけだ。 バターの風味は抑えられていたが、入っていた気がする。ただ何かしら具材を混ぜる上で、バター等の脂を加える必要が出てくることもあるだろうから、そこは妥協するとしても…ケトリング(茹でる作業)は確実にしていない。
クソっ、騙された!!(怒)
食べ物の恨みは恐ろしい。
私は二度とその店でパンを買わんと思った。(そのうち忘れて買うと思うけど)
しかしネットを見てみれば、オートミールで作るベーグルとか、簡単ベーグルとか、いろんなベーグルのレシピが出てくる。
そのほとんどが、普通にバターが入っていたり、何しろケトリングはされていない。そもそもオートミールの生地なんて、茹でられるはずがない。
それなのにベーグルと名乗っている!
この事実に、私は最近ちょっとイラッときている。
とうやら日本では、パンの中央に穴さえ開いていれば『ベーグル』と呼ぶ風潮があるようだが笑止!!
オートミールベーグルは、私もダイエット中のおやつに作ったことがあるけれど、「厳密にはベーグルじゃないよな、これ」といつも思っていた。とはいえ、真ん中に穴を開けないと上手くできないから、ドーナツ状にする必要性はわかる。
だったらどう呼べばいいのか。
ベーグル風とちゃんと書いておいてほしい。
特にあのパン屋は、『ベーグルの形をしたパン』と書いておくべきではないか。私のように、本物のベーグルの風味を求めてうっかり騙される奴が他にもきっといる。
先月そうして、ベーグルが食べたい気持ちを見事に裏切られてからか、ベーグルへの渇望がここ数日またムクムクと膨れ上がってきた。
そこへ、自転車で30分ほどのところにあるショッピングモールに、有名なお店のベーグルが出店しているという情報が今日入った。
あ~、神様!♪ 都合のいいときだけ神の名を口にするおめでたい性質炸裂だ。
あの食感をようやく味わえると思うと、今からすでに待ち遠しい。
できることなら、日本でもベーグルとはなんぞやの知識がちょっとでも知れ渡ってほしいと思う。せめて食感だけでも知ってほしい。
それで人気が出たら、もしかすると市販品も出てくるかもしれない。
ただ、茹でる工程はあきらかにコストを上げるし、かといって普通の菓子パンほどの人気は出ないだろうから難しいか。
そんわけで、これからもベーグル難民生活は続きそうだ。
とりあえず明日は、多めに買っておいて、冷凍しておこうと思う。和菓子と同じで、ベーグルは冷凍保存しても味が変わらず、自然解凍で食べられるのも魅力なのだ。
お月見団子
毎年、この時期にお月見団子を買う。
私は大阪出身、大阪育ちなので、里芋に似た形の団子にこし餡を巻いたタイプものしか知らない。
昔から、アニメや絵で、白い団子がピラミッド状に積み重ねられているのを見るたび「?」となっていた。だから各地域で、お月見団子のタイプが全然違うと知ったとき、驚いたと同時に納得したものだ。
三年前のとある時期から和菓子が大好きで、季節ごとの和菓子はだいたい食べるようにしている。
特に、正月に花びら餅、春に桜餅、五月に柏餅、六月に水無月、九月にお月見団子、お彼岸におはぎ、冬にぜんざいは欠かせない。
またお気に入りの店もあって、必ずここのを買う、というのも決めている。
しかしお月見団子だけは、なかなか好みのものを見つけられずにいた。いつも気に入っている店のものでも、お月見団子だけは『これじゃない感』がする。
スーパーに売っているのも食べてみたが、やっぱりなんか違う。たまに、有名なお店のものよりも、スーパーの安い商品のほうが自分の口に合うことがあるのだが、お月見団子に至ってはそうではないようだった。
それで今年は、お月見団子を自分で作ってみることをした。
材料は白玉粉と水、こし餡のみだ。こし餡は自分で作るのは難しいので、市販のものを買って使った。
お月見団子を作る前に、一度白玉を作って試しに食べてみたが、これが結構いけた。
これは期待できるぞと思い、今日、いざ張り切ってお月見団子を作ってみたのだが…。
出来上がった団子に、こし餡を巻く作業がなんとも難しい…!
綺麗にできたらブログに載せようと思ったが無理だった。なんとも不格好なものが8個もできてしまった。
けどまあ、ネットにあげるために作ったわけでもないので、味さえよければよし。
そう思って食べてみたのだが…あれ? 白玉のときは美味しかったのに、なんかイマイチ。水っぽさが目立つ。
和菓子屋さんの苦労がとてもわかった気がした。
成形だけでも難しいのに、均一の大きさのものを何個も作り、理想とする味を体現する。それがどれだけ容易でないことか。
ひとつの商品を作るのに、何度もトライ&エラーを繰り返すのだろう。練習もたくさんするんだと思う。
とはいえ不味いわけではなかったのでちゃんと食べ、多めに出来上がったから母にもおすそ分けした。
母は美味しいと喜んで食べてくれたが、娘の作ったものい対する贔屓目は確実にあったと思われる。けれどもまあ、喜んでくれたのは嬉しい。
ネットのレシピを参考にしたのだが、団子の部分を白玉粉で作る人もいれば、団子粉で作る人もいた。白玉粉派のほうが多かったのでそれを真似たのだが、団子粉のほうが、私の口に合うかもしれない。ちょっと気になるので、今度やる気になったら団子粉で同じものを作ってみようと思う。
なにせ、初めてのことに挑戦できたのは楽しかった。
最近、手作りお菓子や作ったことのない料理に挑戦するのが好きなので、色々とやってみたい。
いつかブログに写真を乗せられるぐらい、綺麗なものが作れたらいいのだけど。
注射で大騒ぎした記憶
私はとにかく、よく泣く赤ん坊だったらしい。
どこへ行っても泣いていた、と両親は証言してくる。
初めて新幹線に乗せたときも泣きまくって大騒ぎし、以来、わが家は大阪からディズニーランドへ行くときですら車で移動するようになった。(※ただし、いまだに父は東北まで車で旅行したりしているので、私だけが原因なのではなく、単に車が好きな気もする…)
新幹線のことは覚えていないが、病院でよく泣いていたのは自分でも覚えている。
よく泣く上に、私は病弱だった。
2歳のときに肺炎を発症し、40度を超える熱を出して、毎日病院へ点滴に通っていた。
その際に、注射針を刺される恐怖を覚えてしまったのだ。
病院=痛いことをされる! というのが脳にインプットされてしまって、その後も風邪や中耳炎、いろんなことで病院へ行くたびに泣いた。
3、4歳ぐらいのとき、日本脳炎かBCGか忘れたが、予防注射を打ちにいくことになった。
その知らせを数日前に聞かされ、案の定、大騒ぎした。
だが泣いても逃げられるはずはなく、自転車の後部席に座らされて、同い年の友達数名と一緒に会場へ向かった。
自転車の席でわーわー泣きわめいている私に、他の友達は、
「あやちゃん、大丈夫やで。すごい小さい針やから痛くないらしいで」
「一瞬、チクッとするだけやって、お母さん言ってたで」
などと慰めてくるが、馬鹿言っちゃいけない。
小さい針などない。注射針なんてのはたいてい同じ規格だ。
仮に小さかったとしても、痛いに決まっている。なぜなら2歳のときに、何度も私は針を経験しているのだ。毎回めちゃ痛かった。みんなお母さんの言葉に騙されているだけだ。と思っていた。
よく考えたら、注射を打たねばならないほど体調を崩すなんていうのは、わりと稀である。
ましてや保育園などに通っていなければ、病気をうつされることも少ないので、みんな健康だったのかもしれない。物心ついてから注射を経験していたのは、あの中で私だけだったのではと、今になって思う。
慰められながら会場へ着くと、嗅いだ覚えのあるツン、とした匂いが鼻をついた。
注射をする前に腕を拭くやつだ! そう、アルコール綿である。
愚図りながら私は、注射からは逃れられない運命であることもわかっていた。
よって素直に列に並びはするのだが、自分の番が回ってきたとき、それはもう大騒だ。机の下に潜り込み、なんとか逃亡を試みたが、呆気なく捕まって腕を出させられた。
アルコール綿をぬりぬり。――ブスッ。
うぎゃ~~~!!
やっぱり痛い!! しかもあの注射、めっちゃ長かったし圧力も強かった気がする!!
もう大泣きだ。
けれども終わったらホッとした。
ぐずぐず泣きながら、他の友達のほうを見ると、みんな注射を打たれて泣きまくっている。
ほら見ろ! 何が小さい針だ! 注射ってのは痛ぇんだよ!
と、心の中で思った。
ほんとに(笑)
あの後も病院を嫌がり、予防注射の類を嫌がった私だが、そういえばいつから平気になったんだろう。
もしかしたら小学校のときかもしれない。
みんなの前で騒いだら恥ずかしいと思って、学校で予防注射を受ける際に、歯を食いしばって耐えた記憶がある。
その後も私の病弱はなかなか収まらず、毎年3回は熱を出し、しょっちゅう点滴をした。
そうしているうちに、慣れっこになってしまった。
おまけに私の肘の内側にある血管は、点滴の打たれすぎにより、「ここですよ」と言わんばかりに盛り上がっている。採血のときに、「まあ、採りやすい血管!」と喜ばれることはしょっちゅうだ。
あれだけ嫌がっていた病院へ、今は自分の意思で行くのだから、大人になるって不思議だ。
しかもお年寄りになると、なぜか嬉々として病院へ行き、点滴を打つ人までいるのだから、本当に面白い。
病弱だった私だが、二次成長が始まったあたりからあまり風邪を引かなくなり、病院へ行く機会もめっきり減った。
このまま健康でいられるよう、日々の運動を続けたいものだ。
慣れっこになったとはいえ、注射も薬もやっぱり嫌いである。
好きな男の子との再会
幼稚園のとき、同じクラスに好きな男の子がいた。
性格はどんなだったかよく覚えてないが、とにかくイケメンで、他にも彼を好きな女の子が沢山いた。
小さい子の言うイケメンなどアテにならないことも多いが、彼の場合、お母さんたちも「N君って男前だね」と言っていた。私も大きくなってからアルバムを見たとき、「本当に可愛い顔してたんだな!」と驚いたぐらいだ。母の話によると、彼のお父さんもすごくハンサムで、お母さんたちがキャーキャーいっていたらしい。
N君と喋ったりしたい気持ちはあるにはあったが、何しろ人気があったので、私は尻込みして近づけなかった。
それに、幼稚園のときの「すき」なんて、そんなたいした感情ではない。
他の女の子がN君にまとわりついていても、ちょっとヤキモチを妬くぐらいで腹も立たないし、しばらくすると、別の子を好きになっていたような気もする。
ただN君は本当に男前だったし、印象的だったから、私の記憶によく残っていた。母も、「アンタN君のこと好きだったよね~」と、幼稚園のアルバムを見ると懐かしそうに言ってくる。
そんなN君と、大学生のときに、私は思わぬ形で再会した。
当時アルバイトしていたレンタルビデオ屋で、電話がかかってきたのを私が取った。
すると、求人募集を見てのアルバイトの応募だった。
大まかな住所や電話番号、年齢、職業などを聞き、最後に名前を尋ねたところ、
「〇〇〇〇です」
N君だ!!
すぐにわかった。
そのビデオ屋は、通っていた幼稚園の近くにあり、N君がその付近のマンションに住んでいると聞いたことも思い出した。
それに、結構珍しい苗字だったし、下の名前も、いそうでいない感じで彼の他に見たことがなかった。絶対に間違いない。
うわ~、N君だ。マジで!? と、ドキドキした。
幼稚園のときに好きだった子となんて、今更再会してどうなることもないだろうが、それでもなんだか嬉しいしときめく。
ただ、職業が『フリーター』というのがちょっと引っかかった。
最近は非正規雇用なんて珍しくないが、そのときは正社員、あるいは学生なのが普通、という時代だったのだ。
後日、面接が行われ、N君は採用となった。
そして初出勤のとき、業務の説明を任されたのが、たまたまそのとき手の空いていた私だった。
(ええ~、なんで私なんだよ。緊張するじゃん~)
と、内心オロオロしつつも、ポーカーフェイスを繕って淡々と喋る私。
N君は、私のことを覚えていないようだった。
そりゃそうだ。一方的に私が好きだったんだし、たぶん、幼稚園にいる間に一度ぐらいしか喋れなかったと思う。
というか、覚えていられていたらむしろ困る。
私はただ、あの頃好きだった男の子の成長した姿を見て、勝手にときめいていたいだけなのだ。
ほんとそれだけ。……だったのだが――。
残念ながら、成長したN君は、ちっとも格好よくなかった。
顔は面影があった。鼻筋がすっと通っていて、唇の形も綺麗だ。しかし、髪をだらしなく伸ばしているせいで、どんな顔をしているのかがそもそもわかりづらい。
あと、喋り方もなんか……こう、いい加減でだるそうな感じ。
おまけにコミュニケーションにも問題があって、これはきっと馴染めないだろうなと思った。うちのバイト先は、わりとみんな仲がよくて、一緒に休みをとって遊びに行くことも多かったのだ。周囲とあまり関わらず、仕事だけをしていたい、という人には合わない。
私の予想は的中し、N君はすぐにバイトを辞めた。
けれどもまさか、たったの一回で来なくなるとは思っていなかった。
母にそのことを話すと、「お母さん、教育熱心そうな人だったから意外やわ。しかも一回目で辞めるってのがちょっとねえ…」と苦笑いしていた。
そりゃあ、初回からブラック感満載の職場なら即辞めるのが普通だと思うが、そうではなかったし。
まあ、N君にも色々思うことがあっての決断だったのだろうが、それにしたってなんだかな~と思ってしまう。みんな優しく迎えていたのに…。
子どもの頃の好きな人と再会したらめちゃくちゃ格好よくなっていたり、そこから恋が始まる、なんて少女漫画を読んだことがあったが、ありゃあ全部フィクションだ、と身に染みてわかった出来事だ。
できるなら、N君にはキラキラした思い出のままでいてほしかった。
恋のお相手と再会なんて、するもんじゃないなと思う。