ゴリラ主婦の78ブログ~転んだ先に福来る~

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心霊体験

子どもの頃から、心霊番組が好きだった。

昔は冝保愛子さんという霊能力者が大人気で、テレビで活躍しており、冝保さんの出る番組は必ず母と一緒に見ていた。

父も、冝保さんの能力は興味深く感じていたようだけど、心霊系の話はそれほど好きでもない。私と母が番組に熱中していると、「また見てるのか。夜中に出るぞ」とよくからかってきた。

 

そうした心霊現象に興味があるあまり、私は大人になってから、いろんな本を読んで死後の世界やスピリチュアルのことを学び(おもに江原啓之さんの本で)、その結果、幽霊というものがさほど怖くなくなった。今ではそういう体験談を聞いたり、心霊写真や映像を見ても、冷静に分析するようになってしまっている。まあ、それはそれで楽しいのだけど。

 

かくいう私も、これは霊現象ではないか、と思われるものをいくつか体験している。

記憶に残る中で、はじめてそうした体験をしたのは、小学6年生のとき。家族で初めて、沖縄旅行に行ったときのことだった。

 

うちの両親は、太平洋戦争のことに関心の深い人たちで、私にもその歴史を知っておいてほしいようだった。だから、毎年8月になるとテレビで放送されていた『蛍の墓』や、戦争関係のドラマは必ず一緒に見ていたし、広島の原爆ドームや博物館へ連れていかれたこともある。

 

かつて激戦地だった沖縄にも、戦争の傷跡を物語るものが複数残されている。

中でもひめゆりの塔は、最も有名だろう。そんな場所を、初の沖縄旅行で、うちの両親が逃すはずがない。ましてや当時、『ひめゆりの塔』という映画が作られて間もない頃だ。当然、観光プランに組み込まれていた。

 

正直、嫌だった。

自国の凄惨な歴史を知るのは必要なことだと、私も子どもながらに理解はしていた。

でも、それはそれ。せっかく楽しいはずの旅行に、そういうのを組み込まないでほしい。

そもそもそうした場所に、あまり行きたくなかった。心霊番組を好きこのんで見ているくせに、幽霊や怪奇現象を、普通に怖いと私は感じていたのだ。そんな場所に行って、何か出たり、とり憑かれたらどうするんだと思う。

 

でも子どもの意見なんてものは、たいていの場合、無視されてしまう。

「アンタぐらいの年の子もたくさん亡くなったんやで! ちゃんとそういうことも勉強しなさい!」と、案の定言われて、しぶしぶついていったのだ。

 

 

ひめゆりの塔と同じ場所には、資料館が建てられている。

そこに入って、最初は別になんともなかった。

広島の原爆資料館も行ったことがあったけれど、あれよりも恐怖度がマシだなと感じた。あっちのほうが、目をそむけたくなる写真や物が展示されてあったように思う。(今でも、怖いとは感じないものの、直視できるかどうかわからない)

 

ひめゆりの塔の資料館はそんなに広くなくて、4つぐらいの部屋に別れており、最後は書物が読めるスペースになっていたと思う。私は異変を感じたのは、最後からふたつ目、つまり3つ目の部屋だった。

 

その部屋には、亡くなられた人の写真がずらーっと並べられていた。

人の写真を見てこんなことを思うのは失礼極まりないけれど、それらを見た瞬間、正直に言って、ものすごく嫌な予感がしたのだ。

 

けれど、来た以上は見なければいけない気がする。それに、素通りしたら両親に怒られそうなので、私はひとつひとつ、さらっとではあるが、それらの写真を見て回っていた。

 

すると突然、母が肩に手を乗せてきたのである。

私と同じように、結局のところ母も怖がっているのだと思った。自分が言い出しっぺのくせに、なんだそりゃ。そういや母も、私と同じで、心霊番組が好きなくせに幽霊は怖いというタチである。

 

はじめは放っておいてあげたけれど、そのうち肩が重くなってきた。

「ちょっともうやめて」と、私は母の手を払いのけた。

 

しかしだ。払いのけた感触がない。

変だなと思って振り返ると、私のそばには誰もおらず、当の母は離れた位置で展示物を見ているではないか。

 

はじめての不可解な体験に、なんともいえない気持ちになりながら、私は母のほうへ行った。

「オカン、さっき私の肩に手ぇ乗せてなかった…?」

とおそるおそる聞いたら、そんなことしてないよと言われた。

 

そこで、私がたった今自分の身に起きたことを話すと、母も、

「実はな、さっきから私も背中がずっと重いねん…」

と言いだす。

 

 

心霊番組が好きなくせに幽霊の怖い母子は、同時に恐怖を覚えた。

どちらから言いだすでもなく、早く出ようということになり、父にそのことを言うと、「なんでやねん。ワシはまだ見てるんや」と突っぱねられる。

心霊番組がさほど好きでもない父は、そもそも霊現象のほとんどは嘘だと思っており、その類が怖くないのだ。

 

しかし家族の中で、あきらかにそれは霊だろう、というのを一番体験しているのはこの父である。にもかかわらず、どれも「気のせい」で済ませるのだ。

田舎に泊まったとき、夜中に川原で白装束の女の人が髪を洗っているのを目撃したのも、「あれは人間だ」と今も言い張っている。今どきどこにそんな人間がいるのか、教えてほしい。

 

 

ともかく、父がそんな感じなので、私と母は仕方なくふたりだけ先に資料館を出た。

父は4つ目の部屋でもしっかりを資料を読んでから、しばらくして出てきた。

 

移動のレンタカーの中で、私と母は自分たちの身に起きたことを父に話したが、やっぱり「気のせいだ」と言われる。

そうかなあ、と一瞬思ったものの、あの手の感触は、気のせいにしてははっきりとしすぎていた。

 

勉強して、霊現象などについてわかるようになってきた今でも、あれはマジだったな、とやはり思う。

でも怖がる必要はなかった。なぜなら悪さをする類の霊ではないからだ。

 

人に悪影響を与える霊と、ただそこにいるだけ、という霊が存在する。

危険な人間がほんのごく一部いて、あとのほとんどは平和で無害な人たちだというのと、さほど変わらない。

 

私は体験したのは後者。

たぶん、似たような年の女の子と、自分たちのお母さんに近い年齢の女性が来たから、ちょっと近づきたくなったのだろう。

 

でもそう考えたら、あそこにいる霊はまだ成仏しきれていないということになる。

気の毒なことだ。

あれからもう長いこと行っていないので、今はどうなっているかわからない。歳月と、あそこを訪れる優しい人たちの心が、魂を昇華させてあげていられればいいなと思う。