骨格診断に救われた話
2年前だっただろうか。
『骨格診断』というものを、初めて知った。
人の骨格の傾向は3つのタイプに分かれていて、それによって見た目の印象が変わるそうだ。何事も骨組みが異なれば、たとえ同じ装飾や塗装をほどこしたとしても、全く違うものが完成するに決まっている。
体つきの違いにより、似合う服と似合わない服の傾向もそれぞれ異なり、また脂肪のつき方や質まで変わってくるらしい。
もちろん、細かくいえば、肉体にはひとりずつ唯一無二の個性があるため、あくまで『傾向』の話である。
血液型の性格診断がそうであるように、大まかには分類されるけど、私はこれは違うよ、という部分もちらほら出てくる。
実は私、この骨格診断というものに、とても心が救われた。
子どもの頃から、体格がいいとよく言われていた。
決して太ってはおらず、むしろ少食でやせ型だったのだが、それなのに「体格がいい」というのだ。
十歳を超えたあたりから体質が変わり、人並に食べるようになったかと思えばみるみる太りだしたのだが、今考えたら、肥満と呼ばれるほど太っていたわけではない。なぜならBMI値は、平常の範囲を超えたことがなかったからだ。
それなのに、ものすごく太って見えた。
特に、中学の制服だったセーラー服を着ているときが一番ひどい。裸の状態よりも1.5倍は膨らんで見える。
肥満ではなかったとはいえ、ぽっちゃり体型ではあったので、中学を卒業してからはダイエットに励んだ。
以来、また太ってしまうことは何度かあったけれど、その都度痩せるようにしてきたので、だいたいは普通体型を維持できている。
うちの母も、太りやすい体質ではあったものの、私と同じで「ヤバい」と感じたらダイエットをし、普通を維持していた感じだ。
そんな私たち母子の身長と体重はほぼ同じ。にもかかわらず、どうしてか母のほうが痩せて見えるのである。
体型がほぼ同じため、私たちはときどきお互いの服を借りることがあった。
特によく貸し借りしていたのは上着。ベーシックなカーディガンやトレンチコート、ダウンジャケットは年齢問わず着られるので、自分の持ち服に飽きたときに気分を変えられるのはよかった。
しかし。この行為は、私のコンプレックスをしょっちゅう刺激した。
同じ服であるはずなのに、母が着るほうがあきらかにスッキリして見える。
子どもの頃から「体格がいい」と言われていた私は、とにかくゴツく見えた。
それは自分が太っているからだと思い込み、拒食症を心配されるレベルのダイエットをして、母よりはるかに痩せていた時期もある。それなのに、母のほうが常に細い。
なぜ? どうして?
私はどこまで痩せれば普通になれるの…? と、頭を抱えまくる日々だった。
そんなコンプレックスから、BMI値が19以下のときですら、私は自分が太っているとずっと思っていた。なので自称『ぽっちゃり体型』だったのだが、周りに言わせればそんなことはないという。
どんなに頑張ってもこの体型から逃れられないので、半ば諦めていた。
ましてやアラフォーと呼ばれる世代に差し掛かり、今さらそんなに気にしてもねぇ…、と思っていた矢先、たまたまネットで『骨格診断』の記事を目にしたのだ。
骨格診断のタイプは、以下の3つに分かれる。
・ストレート…全体的に立体感があり、厚みとメリハリのある体。
・ウェーブ …華奢で厚みがなく、柔らかな曲線の体。
・ナチュラル…筋肉や脂肪を感じず、骨が目立つスタイリッシュな体。
私は、ものの見事に骨格ストレートというやつだった。
ストレートの特徴がほぼすべて当てはまっているので、誤診のしようもないやつである。
このタイプは、首が短くて太く、上半身に重心があり、太るときは顔や上半身から脂肪がつく。よって、太った際に一番バレやすい。
また筋肉がつきやすく、肌と脂肪にハリがあるので、運動しているとゴリラのようにゴツくなりがちなタイプでもある。
首が太いといえば、こんなことがあった。
若い頃、友人が誕生日にネックレスをくれた。華奢で小さな飾りがちょこんと付いているやつで、ガーリーな服を着ていることの多い私に似合うと思い、選んでくれたのだろう。
…が、なんと、チェーンの部分が短すぎてつけられなかったのだ。
母に渡してみると普通につけられる。ということは、たとえば子供用を間違えて買ったとか、このネックレスがとりわけ短いわけではないのである。
恥ずかしさと申し訳なさから、友人にはそのことが告げられず、そっとアクセサリーボックスの奥の方にしまった。なお、この事件が私のコンプレックスをさらに増長させたことは言うまでもない。
また成人式のときも。
メリハリのあるボディというやつが災いして、体の凹凸をなくすために、ウエストと腰のところに6枚ぐらいタオルを詰め込まれた。
そうすると当然、ドラム缶のような状態になる。
晴れの姿であるはずの成人式の写真は、それはもうひどいものだった。太くて短い首は着物の衿に見事に埋まり、どこからどう見ても関取のような娘である。
昔のドラマとかで、見合い相手に成人式の写真らしきものを渡す場面をよく見たが、私の写真を渡せば、大多数の男が断ってきたに違いない。
この写真も、一度見ただけで封印となった。完全な黒歴史となったのだ。
一方、私の母はというと、骨格ウェーブというやつだった。
前から見たら普通なのだが、横から見ると、体がものすごく薄い。そして肩幅も狭い。
肩幅ががっちりと広く、立派な鳩胸を持っていて、横から見ると厚みがある。そんな私と、母の体の見え方に差があるのは当たり前のことだった。太っているとかいないとかではなく、そもそもの造りが大きく違ったのだ。
またこの骨格の差というのは、なぜか脂肪の質にも違いが現れるようで、母の脂肪は柔らかく、つまむとふにっとしている。
それに対し、私の脂肪はパンパンに張っていて、ほとんどつまめない。触ると押し返すような弾力があり、この張りが服の生地も押し返す。そのため、薄いニットやシアー素材など、柔らかい生地の服を着るとボテロの絵のような印象になってしまう。
ゆえに骨格ストレートは、肌の質感に負けない、硬くてしっかりした生地の服が合うらしい。
また首が短いので、VネックやUネックなど、胸元が見える服を着るとスッキリするという。
他にも様々なアドバイスがあって、それに従って服を買ったところ、確かにとても着痩せするようになった。
特に、チェスターコートを初めて着たときは感動した。
首元が寒そうに見えるため、私はチェスターコートがあまり好きではなく、それまで一度も選んだことがなかった。
しかし骨格ストレートにはチェスターコートが一番似合うとあり、ためしに試着してみると、こんなにも痩せて見えるコートがあったのか! と驚いた。
店員さんにも「すっごくお似合いです!」と褒めていただき、いつもはこうした言葉はお世辞だと思って聞き流すのだが、このときばかりは「そうですね…」と自分でも言ってしまったほどだ(笑)
母にも骨格診断の話をすると、すごく納得していた。
私からすると、体の薄っぺらい母はずっと羨望の対象だったのだが、それはそれで、当人にとっては困ることもあるらしい。
たとえば、首元の開いた服を着ると貧相に見えるとか。
また、ウェーブは重心が下のほうにあると言われているため、本人いわく脚が太いらしい。若い頃、ロングブーツが流行って履こうとしたら、チャックが上げられなかったという。
それに母は、なぜか骨格ストレートに似合う服を好む。
一方の私は、ずっと骨格ウェーブ向けの服が好きだった。
いっそ交換できたらいいのにと思う。
それにしても、なぜ親子でこんなにも体型に差が出てしまったのかといえば、私の骨格が父譲りだったからだ。
父の家系は、確かにがっちりした人が多い。
だがその分、皆身長も高いので、バランスがいい。私は、身長だけは母に似てしまったため、ずんぐりむっくりな感じになってしまったわけだ。余計なところだけ似なくてもよかったのに…。
この骨格診断というやつを、もっと若い頃に知っていられたらよかったのになあ、とよく思う。
若い頃から服が好きで、独身時代は、それはもう大いにファッションやメイクを楽しんだ。でもこうした知識があれば、もっと楽しめたはずだ。髪型も、今思えば流行に合わせて似合わないものにしていたこともあった。そのせいで顔が膨らんで見え、「太った?」なんて言われたこともあったし。
特にパフスリーブが大流行したときは、ただでさえゴツい二の腕がさらにゴツく見えて、笑われたことがある。
あのときは泣いた。今考えたら、どこへ行ってもパフスリーブばかり売っているTシャツを諦めて、大胆にタンクトップなどを着ていればよかったのだ。今ではそういう回避の仕方もわかる。
しかし、たとえ遅くても、知ることができて本当によかった。
そっかあ、骨が原因なら仕方がない。
脂肪は落とせても、骨を削ることはできないもの。
そう思ったら心が軽くなり、自分の体型が前ほど嫌ではなくなったからだ。
もちろん、コンプレックスが完全に消えたわけではないし、今でもときどき、華奢な人が羨ましくなる。
でも似合う服をしっかり選び、自分の体にも強みがあるのだと理解していくうち、骨格ストレートが最近だんだん好きになってきている。
何しろ脚が長い。これは大きな強みのひとつだ。
日本人でありながら、脚の長さが身長の半分ほどあるのはちょっと自慢してもいいんじゃないかと思っている。
まだまだ暑いが、徐々に秋服が店頭に並んできた。
涼しい季節になったら、今年もまた、ショートパンツやミニスカートにロングブーツを合わせて歩きたい。そこにテーラードジャケットを重ねたら、きっと格好よくなれるだろう。
見た目のことのみにかかわらず、どんな人にも長所と短所は必ずある。
その両方を自覚して、長所を生かせるようになりたいものだ。そういう気持ちの持ちかたを、前向きというのだと思う。

(↑途中で出した、ボテロの絵。
静物画でありながら肉感があり、内側から膨れ上がる謎の圧力が、外の膜をはち切れさせようとしている印象を受ける。)