ゴリラ主婦の78ブログ~転んだ先に福来る~

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ウンコ地雷

最近、道を歩いていて、あまり犬のウンコを見かけなくなったよなあと思う。

昔はそっちゅうそこらに落ちていた。今はすっかり住宅地だらけになったが、昔、うちの地域には畑や田んぼが多く、道路が完全に舗装されてい箇所も多かった。特にそういった場所に、ウンコがよく落ちていたのだ。野良犬は全くかけなかったから、確実に散歩途中に犬がしたのを飼い主が拾わなかったものである。

 

土の上や、草むらなら人目につきにくい。だから放っておいてもいいじゃん、とでも思うのだろう。

しかし、だからといって、アスファルトの道なら安全かといえば、そうでもなかった。そういうところにも普通に落ちているので、気が抜けない。

子どもの頃というのは、友達とのおしゃべりに夢中になっていたり、ふざけたり走ったり、何しろちゃんと前を向いて歩かないものだから、うっかり踏む確率が高いのだ。ましてや足元なんてほとんど見ていない。

 

私もこの、そこらに点在する犬のウンコ地雷の餌食になったことが何度もある。

放置されてかなり時間が経ち、乾ききっているものならまだマシだが、まだ粘度の残るものを踏んだときは悲惨である。次の日から、その靴を履くのがすごく嫌になる。

また乾ききったものでも、新品の靴を出した日に踏んだら、それはもう腹が立つものだ。なんで拾わないんだよ! と、顔も名前も知らない飼い主に向かって膨大な殺意を巡らすことになる。(犬に腹を立てたことは一度もない。犬は悪くないからだ)

 

 

 

こうしたウンコ地雷に関する思い出で、印象的だったものがふたつある。

 

中学のとき、友達と一緒に雨の中を帰っていた。

私たちの中学は山の中腹あたりにあり、裏門から出ると、かなり急な坂が目下に続いている。私たちはいつも裏門から帰っていたので、その日もそうした。

 

雨が降ると、道は当然滑りやすくなるので、毎回緊張感が漂う。怖がりの私は、足元を注意深く見ながら坂を下った。

一方その友人は、わりと大雑把な性格で、滑って転ぶとかいうことをあまり考えなかったようだ。私が下ばかり見ているのに対し、彼女は私のほうをずっと向いて喋っている。

 

そのときだった。

ふと視線をずらすと、彼女の歩く先に茶色い物質が見えた。

 

一瞬、土の塊かと思ったが、なんだか様子がおかしい。よく見れば、雨に濡れてすっかりふやけた犬のウンコだ。道の端っこに遠慮深く置いているならまだしも、あろうことに、道のど真ん中にそれは放置されていた。

 

彼女の足が、地雷まであと一歩というところに迫っている。

「ちょっと待って! 危な――」

、と私が言い終えると同時に、彼女は「え?」と言いながら足を下ろしてしまった。しかも下ろした途端、私が何か言おうとしたのに気いて足を止め、踏んずけたウンコのせいで、ずりずりっと足を滑らせたのである。

 

寸でのところで踏ん張りをきかせ、かろうじて転びはしなかったものの、自分の踏んだものに気づいて彼女は「ぎゃあ!」と声をあげた。

うわー、最悪! と言っていたが、楽観的な子だったため、あまりのコントみたいな状況に今度は笑い出した。

 

「しかも私、ちょっと滑りそうになってたよね」

 

とか言うから私も笑ってしまい、「雨で靴洗いながら帰りなよ」と冗談を言いながら、今度は足元に気をつけて坂を下っていった。

 

この記憶の何が印象的だったかというと、彼女がウンコを踏む寸前から、踏んで少し滑っていくまでが、私の目にスローモーションで映っていたことである。

人間、危機的状況に陥ると、目の前の出来事がスローになると聞くが、私にとってこれがその体験だった。今でもあのスローモーションの映像ははっきり目にやきついていて、彼女には悪いが、思い出すと笑ってしまいそうになる。

 

 

 

もうひとつの記憶は、もっと悲惨だった。

子どもの頃、両親と一緒に山の道を歩いていたとき、景色に夢中になっていた母がウンコを踏んだ。

 

すぐ気づいたらしく、悲鳴をあげていたが、よく見ると、そのウンコにはティッシュペーパーがかぶせてある

おまけにすごく臭い。犬や猫のウンコも臭いには臭いが、人間ほど色んなものを食べていないせいか、道に落ちているだけで匂いが漂ってくるということはない。だから踏んでもまだダメージが軽いというのに、母の踏んだウンコは何やら異様だった。

 

(これ、人間のじゃないの……?)

 

その場にいる我ら3人の全員が思った。

 

仮に人間のだとしたら、なぜこんな場所に? 草むらでもないし、こんな場所に尻丸出しでかがんでいたら、誰かが通ったとき見られるじゃないか。人通りがほとんどない道とはいえ、絶対に誰も通らないわけではない。現に、私たちはこうして通っている。

 

私は顔をひきつらせ、ちょっと後ずさった。それ以上、近づきたくなかったからだ。

すると父が、

 

「アンタ、ウンコついてる……」

 

と、何やら怯えたように言い、母の足元を指さしながら、後ろへ下がっている。

見れば、母の靴に茶色いのがついていた。相当思いっきり踏んずけてしまったのだろう。

 

母があまりにも気の毒で、私が何も言えないでいると、さらに父は半笑いで、

 

「ちょっと離れて歩こう」

 

と言い、さっさと行ってしまった。

 

母はカンカンに怒っていた。

結局、犬のだか人間のだか、あるいは他の動物のものかはわからないが、ティッシュペーパーをかぶせていたということは、確実『人の仕業』なのである。

ウンコを放置した人間に対しても怒り、また思いやりの欠片もない父に対しても怒り、そしてお気に入りのスニーカーが汚れたという現実にも怒り、またウンコがたまらなく臭かったことに対しても怒っていたと思う。

 

私は母が可哀想なので、普通に一緒に歩いていたが、正直離れたかった。うっかり私の靴とぶつかったり、足を踏まれたりしたら最悪だと思ったからだ。

 

幸いそうしたことはなかったが、結局家に帰ってから、母があのスニーカーをどうしたかは知らない。物を粗末にする人ではないので、洗ってまた使っていたと思うが、あれを洗うのは結構勇気がいったんじゃないかと思う。

 

 

 

 

そんな、道に落ちているウンコに関する事件は、覚えていないもの含めると、かなりの回数だったはずだ。でもいつの頃からか、ちっとも踏まなくなった。

 

私が大人になり、前と足元に注意しながら歩くようになったのも理由のひとつだろう。

でもそれ以上に、道端に犬のウンコが落ちているということ自体が、ほとんどなくなったように感じる。

 

昔に比べて、マナーのいい飼い主さんが格段に増えたのだ。

外に繋がれて飼われている犬もあまり見かけなくなったし、ペットに対する意識がここ十数年で一気に変わってきている。

 

それでもまだ、道端に落ちているウンコを時々見かけるし、暑かろうが寒かろうが、犬を外に繋ぎっぱなしで飼っている家もある。

避妊や去勢をしていない猫を餌付けしたり、放し飼いにしたりしている人もいる。

 

でも本当に減った。

たまに外で猫をみかけると、きちんと耳のところがカットされていて、避妊や去勢をしていることがわかる。そうした活動をしてくれている人、あるいは、餌をやるからには増えないようにしようと考えてくれた人がいることは、とてもありがたい。

 

犬のウンコを拾ってくれるのも、ありがたい。

当然のことといえば当然のことだが、それができない人もいるのが現実だ。飼い主さんが、自分のペットに対してきちんと責任を持ってくださることは、すごく尊いことだと私は思う。