注射で大騒ぎした記憶
私はとにかく、よく泣く赤ん坊だったらしい。
どこへ行っても泣いていた、と両親は証言してくる。
初めて新幹線に乗せたときも泣きまくって大騒ぎし、以来、わが家は大阪からディズニーランドへ行くときですら車で移動するようになった。(※ただし、いまだに父は東北まで車で旅行したりしているので、私だけが原因なのではなく、単に車が好きな気もする…)
新幹線のことは覚えていないが、病院でよく泣いていたのは自分でも覚えている。
よく泣く上に、私は病弱だった。
2歳のときに肺炎を発症し、40度を超える熱を出して、毎日病院へ点滴に通っていた。
その際に、注射針を刺される恐怖を覚えてしまったのだ。
病院=痛いことをされる! というのが脳にインプットされてしまって、その後も風邪や中耳炎、いろんなことで病院へ行くたびに泣いた。
3、4歳ぐらいのとき、日本脳炎かBCGか忘れたが、予防注射を打ちにいくことになった。
その知らせを数日前に聞かされ、案の定、大騒ぎした。
だが泣いても逃げられるはずはなく、自転車の後部席に座らされて、同い年の友達数名と一緒に会場へ向かった。
自転車の席でわーわー泣きわめいている私に、他の友達は、
「あやちゃん、大丈夫やで。すごい小さい針やから痛くないらしいで」
「一瞬、チクッとするだけやって、お母さん言ってたで」
などと慰めてくるが、馬鹿言っちゃいけない。
小さい針などない。注射針なんてのはたいてい同じ規格だ。
仮に小さかったとしても、痛いに決まっている。なぜなら2歳のときに、何度も私は針を経験しているのだ。毎回めちゃ痛かった。みんなお母さんの言葉に騙されているだけだ。と思っていた。
よく考えたら、注射を打たねばならないほど体調を崩すなんていうのは、わりと稀である。
ましてや保育園などに通っていなければ、病気をうつされることも少ないので、みんな健康だったのかもしれない。物心ついてから注射を経験していたのは、あの中で私だけだったのではと、今になって思う。
慰められながら会場へ着くと、嗅いだ覚えのあるツン、とした匂いが鼻をついた。
注射をする前に腕を拭くやつだ! そう、アルコール綿である。
愚図りながら私は、注射からは逃れられない運命であることもわかっていた。
よって素直に列に並びはするのだが、自分の番が回ってきたとき、それはもう大騒だ。机の下に潜り込み、なんとか逃亡を試みたが、呆気なく捕まって腕を出させられた。
アルコール綿をぬりぬり。――ブスッ。
うぎゃ~~~!!
やっぱり痛い!! しかもあの注射、めっちゃ長かったし圧力も強かった気がする!!
もう大泣きだ。
けれども終わったらホッとした。
ぐずぐず泣きながら、他の友達のほうを見ると、みんな注射を打たれて泣きまくっている。
ほら見ろ! 何が小さい針だ! 注射ってのは痛ぇんだよ!
と、心の中で思った。
ほんとに(笑)
あの後も病院を嫌がり、予防注射の類を嫌がった私だが、そういえばいつから平気になったんだろう。
もしかしたら小学校のときかもしれない。
みんなの前で騒いだら恥ずかしいと思って、学校で予防注射を受ける際に、歯を食いしばって耐えた記憶がある。
その後も私の病弱はなかなか収まらず、毎年3回は熱を出し、しょっちゅう点滴をした。
そうしているうちに、慣れっこになってしまった。
おまけに私の肘の内側にある血管は、点滴の打たれすぎにより、「ここですよ」と言わんばかりに盛り上がっている。採血のときに、「まあ、採りやすい血管!」と喜ばれることはしょっちゅうだ。
あれだけ嫌がっていた病院へ、今は自分の意思で行くのだから、大人になるって不思議だ。
しかもお年寄りになると、なぜか嬉々として病院へ行き、点滴を打つ人までいるのだから、本当に面白い。
病弱だった私だが、二次成長が始まったあたりからあまり風邪を引かなくなり、病院へ行く機会もめっきり減った。
このまま健康でいられるよう、日々の運動を続けたいものだ。
慣れっこになったとはいえ、注射も薬もやっぱり嫌いである。