忘れられない親友
9月に入ってすぐのブログで、今月は大好きな人のお誕生日が3つもあると書いた。
もうひとりは、昨日のブログでお祝いした、キン肉マンのキャラクターであるロビンマスク。
そしてもうひとり。
私にとって忘れられない親友のマミちゃんだ。9月17日が来るたび、毎年彼女のことを思い出す。
マミちゃんとは、小学5年、6年と同じクラスだった。
色白で、眉毛が濃く、まつ毛も濃い彼女は、西洋の人形みたいな顔をしている。おまけに珍しい苗字だったので、私は1年生のときから彼女の存在と名前を知っていた。
当時の私は、友達を作るのが下手な子で、休み時間はひとりで本を読んだり、絵を描いているというタイプだった。
新しいクラスでもまた一人ぼっちだろうなあ、なんて思いながら、そのときもまた本を読んでいた。すると、たまたま近くの席だった彼女が、「何それ、勉強?」と声をかけてきたのだ。
話してみると、驚くほどウマが合い、アニメや漫画、格闘ゲームが好きなところも同じだった。
すぐに交換日記を始め(当時はスマホやSNSがなかったから、こういうツールが流行っていた)、お互いの頭の中を深く知るたび、ますます気が合うことがわかっていく。また互いに塾や習い事をしているのも同じで、そうしたことへの愚痴を吐くちょうどいい相手にもなっていった。
小学校を卒業後、私は地元の公立中学へ進み、マミちゃんは私立の中学を受験してそちらへ進んだ。彼女のお母さんは教育熱心な人だった。
学校が別になったら会うこともなくなるかと思っていたが、定期的に電話で連絡をし、最低でも月に一度ぐらいは会っていたと思う。交換日記も、その後、携帯電話が普及する高校一年のときまで続くことになる。
携帯のおかげで連絡が取りやすくなったこともあって、高校も大学も違うところに入ったのに、彼女とは付き合いが続いていた。
彼女は時間にルーズで、待ち合わせにはたいてい遅れてくる。だからどこかで待ち合わせることは絶対にせず、遊びに行くときは、私の家に誘いに来てくれと言っていた。
そうやってお互いのよくないところまで知り尽くし、受け入れている仲だった。他の友達に話せないことでも、マミちゃんにだけは話すことができた。
付き合っていた彼氏と最悪な別れ方をし、悲嘆に暮れたときもだ。
マミちゃんには包み隠さず色んなことを話せたし、彼女も真剣に聞いてくれていた。
しかもそれが11月のことだったので、クリスマスの予定がなくなった私に、彼女は「今年は私とデートしよう!」と言ってくれた。その上、レストランまで調べて予約してくれ、元気づけようとしてくれたことを一生忘れない。
そんなマミちゃんに、私はもう、かれこれ10年以上会えていなかったりする。
理由は定かではないが、突然、音信不通になったのだ。
大学3年のとき、就職活動が始まる直前のこと。
私は普通に就活をすると言ったのに対し、彼女は就活はせず、漫画家の道を目指すと言った。彼女の実家は自営業だったので、いざとなったらそこでアルバイトをしたり、社員になれるという安心感もあっただろう。
「えー、マジ? すごいね!」
私は無邪気に言った。ひょっとしたらなれるかも、と思ったからだ。
マミちゃんは、プロの漫画家も顔負けと言っていいほど、本当に絵が上手かった。小学校の頃すでに大人より上手い絵を描いており、それが年々上達するのを見ながら、画家や漫画家になる人というのは、こういう人なんだろうなと思ったものだ。
「就活って結構大変そうだから、しばらく連絡とかできないと思う。だから終わったらまた連絡するね。お互い頑張ろう!」と言って、そのときは別れた。
実際に就活をしてみると、面接の日程とバイトの調整だけでも大変で、面接に落ちたらものすごく凹むし、そしたらまた新しい求人を探さねばならないし…で、すごく忙しい。精魂尽き果てかけた頃、ようやく「この会社!」と思えるところに合格し、しばらくリフレッシュ期間を過ごした後に、久々にマミちゃんにメールをした。
そしたら、、、
返ってこない。
ズボラな彼女が、メールの返信を怠るのは日常茶飯事だった。そういうとき、『メール読んだ?』と再度送ると、謝罪とともにようやく返してくれるのだが、それでも駄目だった。
仕方なく電話をかけてみたが、繋がらない。
自宅のほうへもかけたが、誰も取ってくれなかった。
何かあったのかと心配になり、母に相談すると、
「え? マミちゃんのお父さん、この前犬の散歩してるの見かけたよ。だから引っ越ししたとかではないと思う」
え~。
じゃあ電話に出なかったのはたまたまか。
しかし、その後も電話をかけてもつながらず。
急ぎで会いたいわけではなかったので、私はしばらく待つことにし、それでも向こうから連絡がなければ年賀状でメッセージを送ろうと思った。彼女とは、小学校のときから年賀状もずっと出し合っていたからだ。
けれどその年、マミちゃんからの年賀状はなかった。
相変わらず、メールの返事も。
何か怒らせるようなことをしたのだろうか? でもこの数か月間、会っていないどころか、連絡も取り当えていないし、怒らせる余地がない。
両親に相談すると、「連絡したくなったら、向こうからしてくるよ。こういうときはしつこくしても仕方ないし、もう放っておきなさい」と言われた。
私もそれが正解だと思った。
何しろマミちゃんは、本当にズボラなところがあるので、過去にも音信不通になったり、なんの連絡もなしに約束をすっぽかされたこともあったのだ。ただこんな長い期間、連絡がとれないのは初めてのことだったので、やはり気がかりではあった。
だけど、マミちゃんは今、夢に向かって必死なときなのかもしれない…。
だって漫画家を目指すって大変なことだ。絶対すんなりとはいかないし、何度も失敗を重ねて落ち込むことだってあるだろう。
そんなときにしつこく連絡したら、迷惑だ。寂しいけど遠くから応援することにして、私も社会人としての新生活に集中することにした。
それからさらに、1年が経ったある日。
SNSに、知らない人からメッセージが来た。それも2人。
開封してみると、いずれもマミちゃんの大学の友人からのもので、『彼女とずっと連絡がとれないのだけど、何か事情を知りませんか?』という内容だった。
これには驚いた。
大学の友人といえば、つい最近まで交流していただろうし、卒業式でも顔を合わせたはずだ。けれど彼女たちの文面からすれば、マミちゃんは卒業式にも出ていない感じが読み取れた。
ひょっとして、深刻な病気にでもなっているのではないか?
さすがに心配になって、私はマミちゃんの自宅を訪問することにした。親御さんとも何度も会っていたから、向こうも私のことを覚えており、事情を説明すると、「ちょっと待ってね」と家の中に入っていった。
しかし、それから20分以上は経っただろうか。
再びお母さんが出てきたと思ったら、「ごめんね。あの子インフルエンザで、今は会えないの」と言う。
嘘だ、と思った。
だったら最初からそう言えばいい。私はいったい、なんのために20分以上も外で待たされていたというのか。
いい加減腹が立ち、私も少し口調がキツくなった。
とりあえずメールアドレスと携帯番号を書いたメモを渡し、大学のご友人が心配しているから、きちんと連絡するよう言ってくれとだけ伝えた。
このマミちゃんの母親というのは、いわゆる「ええカッコしい」のタイプで、都合の悪いことを隠すところがある。
そういうところがよくない影響を与えるのだろう。マミちゃんのお姉さんも、せっかくいい大学に入ったのに、拒食症と鬱を発症して退学したという過去があった。幸いそちらはすぐに回復したが、マミちゃんもなんらかの精神的な病に陥ったのではと私は思っている。
それから何度も、年賀状や暑中見舞い、手紙などを出したが、返事が来ることはやはりなかった。
うちの母だったら、友達の気持ちを無視する私をきっと怒るだろうし、それでも私が何もしなければ、代わりに連絡を返して事情を説明すると思う。
でも彼女のお母さんは、そういうことを一切しない。人の親御さんを悪く言うのは気が引けるが、私はこの件に関しては、マミちゃんのお母さんに対して今もすごくモヤモヤしている。
マミちゃんが今、どうしているのかわからない。
1度だけ、犬の散歩をしているところを母が見かけたそうだが、もう何年も前のことだ。
そんな友達、もう忘れちまえと思われるかもしれないが、彼女は私の人生に大きな影響を与えてくれた人だった。
彼女のお陰で、私の性格は明るくなり、クラスメートとも普通に喋れるようになった。
漫画やアニメ、ゲームの楽しさを深めてくれたのも、いろんなジャンルを教えてくれたのも彼女だ。
何より、クラスや学校、趣味が変わっただけですぐ人間関係の切れる私が、ずっと違う学校へ通っていようが、何年経とうが、付き合い続けていた人である。
お互い成長するごとに、話題が変わっていくことも楽しかった。
会えなくなって、今もすごく寂しい。
年相応の楽しさや愚痴を、また思う存分言い合いたい。お婆ちゃんになっても、ずっと仲良くしたいと本当に思っていた。
けれどもう、それは叶わないと思う。
その代わり、毎年9月17日が来るたび、私はこう願うことにしている。
彼女が今、元気で楽しくやっていますようにと。
どうか幸せでありますようにと、心から。