ホテルムンバイを見て
『ホテルムンバイ』という映画を見た。
2008年にインド・ムンバイで実際に起こったテロ事件をモデルにした、ほぼノンフィクションだ。
もともと私は宗教というものが好きではなく、一歩間違えば危険なものだと思っている。この映画を見て、ますますその考えが強まった。やはり宗教って怖い。ある種の洗脳ではないか。
もちろん、他人に危害を加えるほどの宗教や思想は、かなり少数派であることはわかっている。
それでも怖い。
自分の思考に、枠組みを作られてしまうのがおそろしい。
他人の話を聞いたりして、自身のものの考え方に影響を受けることは普通だと思う。というか、そうでなくてはならない。
でも、なんでもかんでも鵜呑みにするのではなく、みんなその考え方を取り入れるかどうかを判断する自由があるはずだ。宗教というのは、その自由を制限してしまうようで好きになれない。
どこの神様も思想も信仰していないから、私は自分が死んだとき、絶対にお坊さんを呼んでよしくない。意味の分からないお経を唱えられるよりも、好きな歌でも流してくれたほうがいい。
生きているときに「素敵♡」と思えないお経が、死んだからといって、急に耳心地のよいものになるわけがないのだ。生きていようが死んでいようが、人の本質など変わらないのだから。
戒名もいらない。坊主がコンピューターで適当に決める謎の名前に大金を払うなんて、勿体なさすぎる。そんな無駄金を使うなら、どこかに寄付でもしたほうが、よっぽど天国へ行きやすくなるだろう。
私がこうも宗教に対して批判的なのは、たぶんそれに触れる機会が多かったからだと思う。
触れることがなければ、疑問を抱くこともなかった。難しく考えることなく、死んだらお坊さんを呼んでお葬式、と、一般的に普通とされている慣例にならっていたような気もする。
決して自分の意思によってではないと最初に宣言しておく。
私は、いわゆるS価三世だ。
父方の祖母が入信していたため、気づいた頃にはその宗教に入れられていた。もちろん、なんの断りもなく。その事実を知ったとき、父に対して激怒したことを覚えている。
ただラッキーだったのは、それほどズブズブの家ではなかったということだ。
結婚して家を出た際、何か問題が起こるのではとヒヤヒヤしたが、Sの連中がうちに来りしたことは一度もない。
苗字も変わっているし、両親もそれを報告などしていないので、このままいけば幽霊会員のまま寿命を全うできると思う。
ただし祖母のほうは結構ズブズブだったので、私たちの知らないところでかなりお布施をしていたのではなかろうか。
たまに家へ行くと、テレビを見て寛いでいるなんてときは一度もなく、必ず仏壇に向かってジャラジャラ数珠を鳴らしながらお経を唱えていた。異常な光景だ。
そんな祖母がなぜSに入信したのか、事の発端を最近ようやく知った。
祖母はまあ、まじめだが運の悪い人で、27歳と、当時にしては『行き遅れ』と言われる年齢のときにようやく嫁いだ。後妻として。
祖父の前の奥さんは病弱だったらしく、長女(私の父にとって腹違いの姉)を出産してすぐに亡くなったそうだ。
嫁いだはいいものの、長女は反抗して家出ばかりするし、介護の必要な姑はいるしで、結婚生活はちっとも幸せじゃなかったんじゃないかと思う。おまけに十年と経たないうちに、祖父は癌を患って死んだ。
そしたら、だ。
葬式に祖父の愛人が現れ、挙げ句の果てに、祖父が莫大な借金を作っていたことまで発覚した。生命保険や遺産どころか、残されたのは不倫の事実と借金だけだ。
こんな状況に陥ったら、誰だって病むと思う。
気の強い祖母もさすがに弱ってしまい、そこへSの会員がすり寄ってきた。
「あなたがこんな目に遭うのは、先祖の業が深いからだ。入信してお布施をし、毎日経を唱えて業を軽くせねばならない」
まさにカルトの誘い文句だと思う。
生真面目な祖母はすっかりそれを信じ、まんまと入信させられたわけだった。
もともとSのことを「インチキ宗教!」と罵っていた私だが、この話を聞いて、ますますそれを確信した。
だいいち、宗教が政党を作っていること自体がおかしいじゃないか。政教分離とやらはどこへ行ったんだ。
その後、祖母はちゃんと借金を返し(このことは純粋に偉いと思う)、普通の生活ができるようになったが、その頃には体を壊してまともに外出できなくなっていた。50代の後半から肺を患い、ずっと呼吸器をつけて、76歳と、今どきにしてはかなり若い年齢のときに老衰で亡くなったが、はたして宗教に入っていたことで幸せを得ていたのかは疑問である。
そして、私の父はというと、私と一緒で自らの意志で入信したわけではない。
が、変なところだけ純粋な人なので、母親の信じていたものを継いであげようと思ったようだ。
祖母が死んでから聖教新聞をとり、立派な仏壇を買って、毎朝熱心に経を詠むようになった。あの経の最初の「な」という文字すら口にしない私に、お前は罰当たりだと怒ってくることも時々あった。でも私は負けなかった。
しかしだ。最近ちょっとしたことがきっかけで、一気にSに対して懐疑的になったらしい。
少し前に実家へ帰ったとき、「あや、聞け! Sはインチキだったんや!」と突然言ってきたときは呆れた。
「私、何年も前からそれ言ってるけど…」と返し、それ以上何も言う気になれなかった。まったくもって馬鹿々々しい話だ。
Sを信じている人がこれを読んだらすごく不愉快になるだろうけど、申し訳ないがこれが私の考えだ。
「それは違うわ! あなたは間違っている!」とか言わないでほしい。私も、自分の考えを他の人に強要したりしない。どんな宗教も、信じたい人はどうぞご勝手にと思う。
ただし。
思想を理由に、他者へ危害だけは及ばさなければ、の話だが。
これから日本はどんどん貧困化し、藁をも掴みたい人が増えるだろう。そんな心の隙間に忍び寄る連中がいる。
かつて日本でも、某宗教団体によるテロと呼ぶべき事件があった。ああしたことが、また起こらなければいいなと思う。
本当に、心配事の尽きない世の中だ。
ホテルムンバイの事件も、対岸の火事だと思ってはいけないなと思った。