Bread&Butter
パンが大好きなもので、パンにまつわる話を読みたいと思ってある漫画を読みはじめた。
すごく面白い。
ところでこの作者さん、どこかで見た名前だなあと思っていたら、実写ドラマ化で大問題となった『セクシー田中さん』の原作者さまだった。芦原妃名子先生。
お亡くなりになられる直前の、ファンに向けての悲痛なメッセージを私も読んだので、訃報を知ったときとても悲しかった。
恥ずかしながら、芦原先生の漫画を拝読したのは今回が初めてだ。
タイトルは『Bread&Butter』。まだ読んでいる途中だけど、恋や仕事に疲れた大人の女性にぜひオススメしたい作品だと思う。
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今、糖質制限中なので、パンを食べたくても食べられないのだが、読んでいて何度もよだれが出そうになる。
そして、自分も作ってみたいなあと思う。
けれどもパンの作り方を見ると、なんともややこしく面倒臭そうで、おまけに時間もかかるし、結局家にあるホームベーカーリーを使えばいいやという結論に達するのだった。
でも、ホームベーカリーの食パンも馬鹿にできない。すごく美味しい。
ただワガママを言うと、毎回、生地に少々のムラができるなあと思う。焼きたてを食べるから絶品に感じるけれど、冷めるとそうでもないんじゃないかと思ったり。
それにホームベーカリーで作った食パンは、冷めて時間が経つと、なぜかおかしな形に変形する。実家でよく作っていたとき、毎朝食べるパンが、日に日に縦長になっていって、「なんでこんな風になるの?」と思わず笑ったことがあった。
それに比べると、パン屋さんの食パンは形が綺麗だし、切りやすいし、時間が経っても変形しない。きっとなんらかのコツというか、そういうのがあるのだろう。時間をかけて身につけた職人さんの技術が、そんな高くもない家電に負けるようなら困る。店で売っているのとは、差があって当然なのだ。
食パンといえば、最近のスーパーで売っている市販のものもすごいと思う。
特に私は、ヤマザキの食パンが好きだ。ダブルソフトとロイヤルブレッドの2つが同率一位といった感じで、たまに『ふんわり』と書かれた白いやつが食べたくなる。
とはいえ買うのはだいたい、その日スーパーで一番安くなっているものだけど。フジパンや神戸屋など、他のメーカーの食パンもたいてい美味しいから全然いい。
これらの食パンのクオリティーがあまりにも高いもので、高級食パンのお店に足を運んだことはほぼない。私の舌が馬鹿なのか、申し訳ないが、それほど大きな差があるように感じないのだ。パン屋さんの食パンぐらいの値段なら、たまに贅沢をして買おうという気になるけれど、高級まではいかなくていいやと思う。
話がそれた。
漫画『Bread&Butter』は、タイトルから察するとおりパン屋さんが出てくる話だが、そのパン屋さんのこだわりがとても強い。パン作りのことを語るときにセリフが人生論ともとれるほど深く、そして温かい。食べるものの大事さ、誰かと一緒に食べる素晴らしさ、食に関するいろんな感動について考えさせられる。
こんな素敵な話を描かれる作家さんを失い、とても残念だ。
芦原先生がいかに作品と真摯に向き合われていたのか、そういったことも感じながら、これからも読み進めていこうと思う。
涼しくなってきました
朝がうんと涼しくなった。
昼間も、昨日から冷房をつけずに過ごせている。
ただこの時期、ちょっと難しいことがあって。
というのも、冷房をつけるほどではないのだけれど、部屋の中が少し暑い。そこで扇風機をつけてみたら、今度は寒い。やっぱいらなかったかな、と思って消すと、だんだん暑く感じてくる。座ってパソコンに向き合っていたりすると、じわっと汗が出てくるほどだ。
こういうとき、どうすればいいんだろう。
気温なんてままならないものだと考えて、ひたすら我慢するしかないのだろうか。そうすると物事に集中できないので、困るのだが。
もうすぐ10月。
中学のときだと、衣替えだと言われて強制的に制服を長袖にさせられる時期だ。あのときですらすごく暑くて困ったから、今の気温でそんなことをされたら拷問だと思う。涼しくなったとはいえ、まだまだ半袖じゃないと苦しい。
それでも夜、冷房をつけずに寝れるようになったのは嬉しいことだ。
窓を開けて、外気を浴びながら寝るのが一番気持ちいい。あともう少し涼しくなったら、扇風機をつけるかつけないか問題も解消されるだろう。けどまあ、そうなると今度はすぐに冬がやってくるのだが。
なんだか年々、心地よく過ごせる時期が減っている気がする。
暑いか寒いかの二択。
去年は涼しくなったと思ったら急に寒くなって、秋服の出番がほとんどなかった。今年はほんの少しでいいので、薄手のジャケットで出かけられる気温が長引けばいいなと思う。
ホテルムンバイを見て
『ホテルムンバイ』という映画を見た。
2008年にインド・ムンバイで実際に起こったテロ事件をモデルにした、ほぼノンフィクションだ。
もともと私は宗教というものが好きではなく、一歩間違えば危険なものだと思っている。この映画を見て、ますますその考えが強まった。やはり宗教って怖い。ある種の洗脳ではないか。
もちろん、他人に危害を加えるほどの宗教や思想は、かなり少数派であることはわかっている。
それでも怖い。
自分の思考に、枠組みを作られてしまうのがおそろしい。
他人の話を聞いたりして、自身のものの考え方に影響を受けることは普通だと思う。というか、そうでなくてはならない。
でも、なんでもかんでも鵜呑みにするのではなく、みんなその考え方を取り入れるかどうかを判断する自由があるはずだ。宗教というのは、その自由を制限してしまうようで好きになれない。
どこの神様も思想も信仰していないから、私は自分が死んだとき、絶対にお坊さんを呼んでよしくない。意味の分からないお経を唱えられるよりも、好きな歌でも流してくれたほうがいい。
生きているときに「素敵♡」と思えないお経が、死んだからといって、急に耳心地のよいものになるわけがないのだ。生きていようが死んでいようが、人の本質など変わらないのだから。
戒名もいらない。坊主がコンピューターで適当に決める謎の名前に大金を払うなんて、勿体なさすぎる。そんな無駄金を使うなら、どこかに寄付でもしたほうが、よっぽど天国へ行きやすくなるだろう。
私がこうも宗教に対して批判的なのは、たぶんそれに触れる機会が多かったからだと思う。
触れることがなければ、疑問を抱くこともなかった。難しく考えることなく、死んだらお坊さんを呼んでお葬式、と、一般的に普通とされている慣例にならっていたような気もする。
決して自分の意思によってではないと最初に宣言しておく。
私は、いわゆるS価三世だ。
父方の祖母が入信していたため、気づいた頃にはその宗教に入れられていた。もちろん、なんの断りもなく。その事実を知ったとき、父に対して激怒したことを覚えている。
ただラッキーだったのは、それほどズブズブの家ではなかったということだ。
結婚して家を出た際、何か問題が起こるのではとヒヤヒヤしたが、Sの連中がうちに来りしたことは一度もない。
苗字も変わっているし、両親もそれを報告などしていないので、このままいけば幽霊会員のまま寿命を全うできると思う。
ただし祖母のほうは結構ズブズブだったので、私たちの知らないところでかなりお布施をしていたのではなかろうか。
たまに家へ行くと、テレビを見て寛いでいるなんてときは一度もなく、必ず仏壇に向かってジャラジャラ数珠を鳴らしながらお経を唱えていた。異常な光景だ。
そんな祖母がなぜSに入信したのか、事の発端を最近ようやく知った。
祖母はまあ、まじめだが運の悪い人で、27歳と、当時にしては『行き遅れ』と言われる年齢のときにようやく嫁いだ。後妻として。
祖父の前の奥さんは病弱だったらしく、長女(私の父にとって腹違いの姉)を出産してすぐに亡くなったそうだ。
嫁いだはいいものの、長女は反抗して家出ばかりするし、介護の必要な姑はいるしで、結婚生活はちっとも幸せじゃなかったんじゃないかと思う。おまけに十年と経たないうちに、祖父は癌を患って死んだ。
そしたら、だ。
葬式に祖父の愛人が現れ、挙げ句の果てに、祖父が莫大な借金を作っていたことまで発覚した。生命保険や遺産どころか、残されたのは不倫の事実と借金だけだ。
こんな状況に陥ったら、誰だって病むと思う。
気の強い祖母もさすがに弱ってしまい、そこへSの会員がすり寄ってきた。
「あなたがこんな目に遭うのは、先祖の業が深いからだ。入信してお布施をし、毎日経を唱えて業を軽くせねばならない」
まさにカルトの誘い文句だと思う。
生真面目な祖母はすっかりそれを信じ、まんまと入信させられたわけだった。
もともとSのことを「インチキ宗教!」と罵っていた私だが、この話を聞いて、ますますそれを確信した。
だいいち、宗教が政党を作っていること自体がおかしいじゃないか。政教分離とやらはどこへ行ったんだ。
その後、祖母はちゃんと借金を返し(このことは純粋に偉いと思う)、普通の生活ができるようになったが、その頃には体を壊してまともに外出できなくなっていた。50代の後半から肺を患い、ずっと呼吸器をつけて、76歳と、今どきにしてはかなり若い年齢のときに老衰で亡くなったが、はたして宗教に入っていたことで幸せを得ていたのかは疑問である。
そして、私の父はというと、私と一緒で自らの意志で入信したわけではない。
が、変なところだけ純粋な人なので、母親の信じていたものを継いであげようと思ったようだ。
祖母が死んでから聖教新聞をとり、立派な仏壇を買って、毎朝熱心に経を詠むようになった。あの経の最初の「な」という文字すら口にしない私に、お前は罰当たりだと怒ってくることも時々あった。でも私は負けなかった。
しかしだ。最近ちょっとしたことがきっかけで、一気にSに対して懐疑的になったらしい。
少し前に実家へ帰ったとき、「あや、聞け! Sはインチキだったんや!」と突然言ってきたときは呆れた。
「私、何年も前からそれ言ってるけど…」と返し、それ以上何も言う気になれなかった。まったくもって馬鹿々々しい話だ。
Sを信じている人がこれを読んだらすごく不愉快になるだろうけど、申し訳ないがこれが私の考えだ。
「それは違うわ! あなたは間違っている!」とか言わないでほしい。私も、自分の考えを他の人に強要したりしない。どんな宗教も、信じたい人はどうぞご勝手にと思う。
ただし。
思想を理由に、他者へ危害だけは及ばさなければ、の話だが。
これから日本はどんどん貧困化し、藁をも掴みたい人が増えるだろう。そんな心の隙間に忍び寄る連中がいる。
かつて日本でも、某宗教団体によるテロと呼ぶべき事件があった。ああしたことが、また起こらなければいいなと思う。
本当に、心配事の尽きない世の中だ。
ホテルムンバイの事件も、対岸の火事だと思ってはいけないなと思った。
和菓子のこと
子どもの頃から、和菓子はそんなに好きじゃなかった。
断然、洋菓子派だった。
ただ抹茶スイーツだけは好きだったので、抹茶アイスとかパフェ、プリンはよく食べた。でもそれらは結局、和のテイストを加えただけの洋菓子なので、和菓子の部類には入らないだろう。
大人になってから、饅頭や団子なども好きになったが、貰ったら食べるという程度だ。
自分で買うなら絶対洋菓子。
けれど3年ほど前、私の中の和菓子の地位をぐんと引き上げることが起こった。
コロナ感染だ。
当時はコロナ騒動の真っただ中で、外出規制がされていたし、みんな外へ行くときはマスクをしていた。
私も当然、マスクをしていたし、消毒もしていた。
在宅で仕事をしていたから会社へ行く必要はなく、スーパーへ買い物に行く以外は極力外出を控えた。
しかし、主人は毎日職場へ行っている。
その職場でコロナ発症者が出て、見事に感染してウィルスを持ち帰り、当然私にもうつったのだ。
そのときは本当に最悪だった。
遠方に住んでいる友達が用事で大阪へ来ることになり、会う約束をしていたのだ。それも、半年以上も前から約束していた。
しかし私がコロナになったことで、当然約束はオジャンである。
予約していた店にも断りを入れ、友達には謝り倒し…。発熱とのどの痛みと意気消沈から、私はほとんど布団から出られなくなってしまった。
だがすぐに、そんなことも言っていられなくなる。
症状が出てか3日後ぐらいすると、これまで経験したことのないほどのどが痛くなって、水も飲めなくなった。
とはいえ水分は取らなければ死んでしまうので、我慢して少し飲んだ。しかし食事は無理だ。とても食べられるものではないし、そもそもお腹が空かない。
そうして私は、生まれて初めて、1日じゅう何も食べないという絶食状態を経験した。
インフルエンザで高熱を出したときですら、ちょっとは何か食べていたというのに。
2日近く絶食が続き、やっと起き上がれるようになった頃には、当たり前だがすごく痩せていた。二次成長を経てから、一番痩せていた瞬間のように思う。
やっとのどの痛みはひいたけれど、次に襲ってきたのは味覚障害だ。
何を食べても苦みがあって、味もあまり感じない。お腹が空くので食べていたが、不快で仕方がなかった。
そんなとき、ふと、シャトレーゼで売っている黄身しぐれという和菓子が食べたくなった。
子どもの頃、家によく置いてあったので食べていたものだ。もう何年も食べていなかったのに、無性にそれが欲しくなった。
家の近所にシャトレーゼがあるので、近所に住んでいる両親に頼んで早速買ってきてもらった。(私はまだ感染中だったので外出できず)
食べると、ほろっとした食感が心地よく、餡子の甘みを鮮烈に感じた。
苦味はなかったわけではないが、一番感じづらかったように思う。そこから猛烈に和菓子が食べたくなり、おはぎや大福など、熱が完全に下がるまでの間、毎日和菓子を食べまくった。
またその間、布団の中で『日日是好日』という小説を読んでいたせいもある。
映画にもなった作品だ。樹木希林さんが出演しており、少し前にそっちも見ていた。
若い女性が茶道を習う話で、その中で季節ごとのいろんな和菓子が出てくる。
読んでいると、餡子の甘みが口の中で再現されて、食べたいな~という気分にますますなった。
そこからすっかり和菓子にかぶれてしまい、体調がすっかりよくなってから、さらに『和菓子のアン』という小説も読んだ。
こっちは完全に和菓子が主役で、いわゆるデパ地下の和菓子屋さんの話だ。
読んでいてハッとしたのは、
『洋菓子には季節がない。ショートケーキもチョコレートケーキもモンブランも、一年中食べられる。でも和菓子は季節ごとに商品が移り変わり、その時期を逃すと来年まで食べられないものも多い。和菓子の味に、四季を感じられるのが魅力』
ということに初めて気づいたことだ。
それまで季節ごとのお菓子というと、桜餅と柏餅ぐらいしか知らなかった。
といっても、桜餅は年中スーパーに置いてあるし、夏に好まれるわらび餅だって年中ある。
でも実は、あのスーパーに置いてるわらび餅は、厳密にはわらび餅じゃない。わらび餅風の何かだ。本当のわらび餅にはわらび粉というものが使われていて、黒い色をしている。しかもわらび粉は大変高価なので、1パック78円なんていう値段では絶対買えない。
…といったことも、恥ずかしながらそのときようやく知った。
私の知らない和菓子ってこんなにあるんだ。
季節商品なんてチェックしなかったし、ましてやデパ地下で和菓子屋へ行くことなんてなかったから、知る機会すら持たなかった。
もっと和菓子を追求したい。
そう思って、体が回復してから、早速ひとりで嵐山へ日帰り弾丸ツアーを決行した。コロナのおかげで空いているから、すいすい色んなお店を回れてラッキーだった。
ご飯系は一切食べずに、ひたすら和菓子の店を回って食べる。
またそのときは、今よりも筋トレと食事制限を頑張っていたから、甘いものにとにかく飢えていた。苦しくなるまで甘い物を食べても、ちっとも気持ち悪くなんてならなかった。
以来、定期的に京都へ足を運んだり、デパ地下の和菓子屋を物色したりと、しばらく和菓子に凝る日が続いた。
最近はその熱も収まり、和菓子と洋菓子を半々に食べているといった感じである。
洋菓子には季節がないと先に書いたが、うちの地元にあるケーキ屋さんには、季節ごとに旬のフルーツを使ったケーキを出すため、ちゃんと四季があるのだ。
ちなみに、私が今一番気に入っているのは、大手デパートの多くが取り扱っている『仙太郎』という和菓子屋さんだ。
でもまだ行っていない店が沢山ある。難波にある人気のおはぎ屋さんには、大行列に並ぶ勇気がなくてまだ行けていない。今はまだ暑いから、寒くなったら一度チャレンジしようかと思っている。
ちなみに、いろんなお店のと食べてみてわかったことがもうひとつ。
子どもの頃からあまり和菓子が好きでなかったのは、いいものを食べていなかったからだ。
市販の安い饅頭などは、小豆や餅の風味を感じられるものが少ない。添加物をガンガンに入れて、大量の砂糖で味を誤魔化している。
本当にいい小豆を使っていれば、甘さ控えめでしっかりと美味しい。
もちろん、日々食べるものに高いお金は出でないから、普段は構わないと思う。私も、日頃はスーパーで78円の大福を買っている。
でもたまにはいいものを口にしたほうがよい気がした。
それに不思議と、本当の美味しさを知ってからのほうが、安い大福も美味しく感じられるようになったのだ。
いいものを食べるのが、結局のところ好き嫌いを減らしてくれるのかもしれない。
さあて、今日のおやつは何にしよう。
パン欲が止まらない
生理のときってどうかしてる。
普通、お腹が痛かったら何も食べたくないはずなのに、お腹が痛いくせにめちゃくちゃ腹が減るんだもん。
それも際限なく。お腹いっぱい食べても30分ぐらいしたらもう空腹になってる。しかもチョコとかパンばかり食べたくなる。
人によって、この時期に食べたくなるものは違うようで、チーズやポテチといったジャンクなものを欲しがるタイプもいるようだ。
私はもっぱらパン。それとお菓子。特にチョコレート欲がやばい。
普段は太るのを気にして、小麦系は食べないようにしている。
でもこの時期だけは解禁だ。この前、人気店のベーグルを買い込んで冷凍しておいたので、それを毎朝食べている。
今回買ったのは初めてのお店。
奈良県にある『LOL』さん。近くのショッピングモールで出店していたのだ。
私にとってベーグルといえば、食感はムギュッ…もっちもっち…♡ だ。
けれどここのは違った。
最初食べたとき、硬くてちょっとモソモソしていて、「ん…?」と思った。
これが本当に人気店のやつ?
それほど美味しいと思えないけど…。
と、思いながら説明書きを見てみると、少し水で濡らしてトースターで焼くのがオススメと書いてある。
それまで、ベーグルは焼かずにそのまま食べるものだと思っていた。
生だからこそ、小麦の香りがふわっと口の中で広がるのだし、食べ応えもあるのだと。
でもオススメと書いてあるからにはやってみねばならない。
少し水で濡らし、トースターで焼いてみると…。
サクッ♪ もちもち…。
美味しい~~!!
確かに、焼いたために小麦の風味は少なくなったと思う。
けれどもこれは新食感。こんなベーグルがあるとは知らなかった。
どっちが好きかというと、生のままモチモチ食感を味わえるほうが好みではあるけれど。
これはこれで有り。焼いた食パンとかのほうが好きな人には、こっちのほうが断然好きだろう。
特にほうじ茶味がよかった。
さすが奈良のパンだけあってか、ほうじ茶の香りがなかなか濃い。
また出店してくれることがあれば買いに行こうと思う。
ご馳走様でした!
ロール ベーグル&カフェ (LOL bagel & cafe) - 志都美/カフェ | 食べログ (tabelog.com)
ラーメン赤猫
アニメ『ラーメン赤猫』が終わってしまった…。
原作のほうは続いてるし、作者様が毎週きちんと更新してくださるから、今後もまだまだ楽しめる。単行本も全部買ってあるから、好きなときに何度も読み返せる。
けど、声つきで動いているキャラクターを見るのは、漫画とはまた違った楽しみがあるのだ。
漫画で何度も読んだシーンがアニメで再現されるのも嬉しい。
深夜の放送なので、毎回リアルタイムではなく録画を観ており、金曜の朝は毎週ウキウキだった。朝ご飯を食べながら見て、主人が仕事から帰ってきたら一緒に見て、次の日もまたお昼に見る。そんな感じで、毎回3回以上見ていた。
けど、それももう終わりかぁ〜。
人気が出てきたので2期も作られると思うけど、どうしても時間がかかる。それまですごく寂しい。まさに赤猫ロスだ。
ちなみに私の推しは文蔵さん♡
ウチの長男(猫)によく似てるし、声も性格も渋いのに見た目が可愛いギャップが魅力。
それとサブちゃんが好き。一番猫っぽい性格をしてると思う。
要するに調理組推し。
あまり無駄遣いはできないけど、お小遣いの範囲でグッズの売り上げなどに貢献したいと思う。
またアニメで会える日を願って!!

近所の騒音
夏休みが終わったからか、暑さが若干和らいだためか、近所でプール遊びをしている子を見かけなくなった。
先月はしょっちゅう見かけて、微笑ましい気持ちになったものだ。
けれど、微笑ましく感じられるのは、きっとお行儀よく遊んでくれているからなんだろう。ご近所のプール遊びを迷惑がる人と、子どもが騒ぐのは当然なのだから多めに見ろと主張する人たちが対立するのを、最近Xでしょっちゅう見かける。
私も、子どもの頃は家の前でプール遊びをしたし、花火だってしたし、なんならボール遊びもしていたから、結構うるさかったのではと思う。ただうちの近所は、同い年ぐらいのお子さんがいるご家庭が並んでいたので、お互い様という感じで皆許し合っていたのだ。
それに、ひょっとしたら、そんなにうるさくなかったのかもしれない。
というのも、近所のお姉さんたちが成長し、結婚して、お子さんを連れて里帰りすることが何度かあった。そうすると、やはり家の前で遊ばせることになるのだが、その音や声をうるさいと感じることはなかったのだ。
けれども人の多いところへ行くと、誰か殺されたのかと勘違いするほど、ものすごい奇声をあげる子がたまにいる。
そういう子が家の前で騒いでいると、私も頭を抱えたかもしれない。
窓を閉めてシャットダウンできるならいいが、それでも聞こえてくるなら悲惨だ。
子どもが遊ぶのは普通のことだと思う。
もし公園が近くにない場合、家の前にスペースがあれば、そこで遊ぶことになる。それも普通だろう。
でも、やはり限度というものはある気がする。
たとえばボール遊びをするなら、バスケットボールやドッヂボールのようなものではなく、柔らかいボールを使うとか。そうすれば音が響きづらいし、万が一、よその家の窓や車に当たったとしても、壊す可能性が少ない。
または、ほとんど音の鳴らないバドミントンにするとか。
何しろ、近所の人のことを考えた遊び方をさせる必要はあるだろう。
幸いうちの近所は大人しい子ばかりいるようで、外で遊んでいるのを見かけても、控えめにしか声が聞こえない。
それに、近くに公園もあるから、たぶんそっちへ行っているんだと思う。
とはいえうちも、実を言うと、少し前まで隣家の音に悩まされていた。
小さい子ではなく、18歳前後の男の子なのだが、そいつが一昨年ぐらいから非行に走りだしたというか、何しろ改造バイクをブンブン鳴らすようになったのだ。
ひどいときは30分以上もアイドリングをする。
おまけにガラの悪い仲間がやって来て、家の前で夜遅くまで喋ったり、煙草吸ったりもした。一番腹が立ったのは、深夜に家の前でバスケットボールをつきはじめたことだ。さすがに主人が怒って「うるさい!」と言うと静かになったが、うちの主人が注意したのはたぶん片手では数えられない回数だと思う。
何に腹が立つって、その息子本人もそうだが、親に対してだ。
うちの主人が注意している声を、何度か聞いたことがあるに違いない。それなのに一切注意せようとせず、一度顔を合わせたときなんかは、「いつもうるさくてすみません~(ヘラヘラ)」と言ってきた。
私もカチンときて、「そう思ってるならどうにかしてください」とでも言いたくなったが、波風を立てるのが嫌で言えなかった。向こうもそれを見越して言ってきたような気がする。だって本当に申し訳なく思っているなら、こっちに謝る前に、自分の息子に注意しないか?
しかし先月、ついに主人がブチ切れることが発生した。
深夜の0時近くだったと思う。私と主人が床につき、ウトウトとしはじめたところへ、「カンカンカン!」と大きな金属音が聞こえてきたのだ。
二人揃ってびっくりして、文字通り飛び起きた。
最初はうちの猫が何かイタズラをしたのかと思い、家の中を見て回ったが、みんな寝ているし何も起きていない。
それから家の前を見ると、隣の息子が懐中電灯を照らしている。そしてその父親が、バイクを何やらいじっているのだ。
親も一緒になって何やってるんだ! と、さすがに腹が立ったが、そのときには静かになっていたので、何も言わずまた布団に入った。
するとだ。またウトウトしはじめたときに、再び金属音が鳴ったのである。
主人もいい加減怒り心頭で、「うるさい!」と大声で怒鳴りつけた。
するとそろそろとバイクを移動させ、離れた場所で改造工事を再開したのだが、めちゃくちゃ離れているというわけではないので、若干音が聞こえてくる。
結局その騒音が原因で、その日はあまり眠れなかった。イライラさせられたせいもある。
すると翌日、当事者であったその父親さんが、菓子折りを持って謝ってきた。
息子からこれまでの話を聞いたのだろう。「今までもご迷惑をかけていたようで…」とも言われた。
謝ってくれた人をあまり悪く言いたくないのだが、深夜にあんな物音を立てるのは迷惑なことぐらい、怒られなくてもわかると思う。
けれどもどうやら、それを考えられない人というのが世の中にはいるようだ。自分の常識=他人の常識ではない。そのことがよくわかる一件だった。
以来、隣家はすごく静かになり、居心地が悪くなったのか例の息子も家を出たようだ。たまに帰ってくるが、すぐまたどこかへ行く。
私たちのせいで家を出たのかな…と思うが、まあ仕方ない。どこで誰と暮らしているのかは知らないが、また近所に迷惑をかけていなければいいなと思う。
人間誰だって完璧ではないから、自分でも知らぬうちに他人に迷惑をかけていることはあるはずだ。
でも、少しも配慮しないことと、配慮したつもりでも迷惑がかかってしまった、というのではだいぶ違う。ああ、こちらを気遣ってくれてるんだな、というのが感じられたら、多少カチンときても黙っておいてあげようという気になる。
だから結局、気遣いが大事なんだろう。
我慢してもらって当然とか、自分は何も悪くない! と開き直ることが、揉め事につながるように思う。
過剰に周りを気にする必要はないけど、時折でいいから、自分の周りを振り返って見ることがきっと必要なのだ。