ゴリラ主婦の78ブログ~転んだ先に福来る~

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彼らは奇跡

高校生の頃から実家に猫がいたのだが、結婚して家を出ても、やっぱり猫を飼いたいと思っていた。

なぜかというと、金魚、ハムスター、ウサギ、カメ、犬、猫と色んな動物を飼ってきた、猫が一番、私の心の琴線に触れた生き物だったからだ。

 

まず、見た目が可愛い。そして、飼う前に想像していたのよりずっと賢い

人間の言うことを聞くという意味の賢さではなく、むしろ頭がいいからこそ、他者の命令には従わないのだという感じがする。そんな気高さを持っているのに、ゴロゴロ喉を鳴らして甘えてくれたり、あざとい仕草でこちらを魅了する。自分が可愛いということを、あれは確実に理解していると思う。

 

それに人間の言葉を、人とほぼ同じレベルで理解しているように感じる。言葉を交わすことはできなくても、猫といると、会話しているような感覚によくなる。

 

フワフワの体毛は温かくて、お日様の匂いがする。

瞳はガラス玉のように美しく、ころんと丸い手は、見ていると胸がきゅうっとつねられるほど愛おしい。

とにかく全てが可愛くて、魅力を挙げればキリがない生き物だ。まさに神の作りし造形美だと思う。

 

 

しかし、私がそうやって猫を愛しても、猫のほうは常に私のことが嫌いだった。

理由は、私が猫を好きすぎるせいだ。

 

猫を見ると、「か・わ・い・い~~~~!!!」と心の中で雄叫びをあげ、目をギンギンに光らせながら近寄っていく。そのとき発する並々ならぬ波長が、猫の危機察知レーダーに引っかかるのだろう。

野良猫はもちろんのこと、実家で飼っていた愛猫ですら、私を避けた。私がやたらめったら抱いたり、吸ったりするせいだ。

それに今思えば、世話はほとんど母親に任せっぱなしにしていた。なんとも身勝手な可愛がり方だ。あれでは懐かれなくて当然である。

 

 

そんなだから、結婚後に猫を飼いたいと思っていても、望み薄だった。

私に飼うスキルがないという意味ではない。母のお世話の仕方を見ていたから、同じようにする自信はあった。

望み薄というのは、単純に、運命の子と出会えないのではないか、という懸念だ。

 

実家の猫は、公園で犬の散歩をしていたときに捨てられているのを発見し、拾った子だった。そういう経験をしているから、自分が飼うのも絶対に保護猫、それも外で拾った子と決めていた。そのシチュエーションが、最も私の庇護欲というか、母性と呼ぶべきものを刺激する気がしたのである。

 

だが肝心の猫のほうが私を嫌いでは、このシチュエーションは成立しづらい。

結婚し、主人と一緒に住みはじめた場所は、野良猫の多いところだった。その状況に歓喜した私だったが、案の定、どの猫も私を見ると、近づく前に逃げていく。

 

これは無理っぽいなあ、と思った。私が猫を飼うとしたら、保健所や譲渡会で出会った子を引き取ることになるだろう。

それも悪くない。むしろ社会貢献にもなって、すごくいいことじゃないか。

 

とはいえ新生活が始まったばかりで、家事と仕事の両立や、自分の世話をするのにさえまだ慣れていないときである。

いずれにせよ、今すぐ猫を飼うのは無理だ。

縁というのはこちらが望んでやってくるものでもないし、神さまに祈りながら、気長に『そのとき』を待つことにした。

 

 

 *

 

 

主人との生活が始まって間もなく、待ちに待った新婚旅行へ行くことになった。

行き先はパラオ

海好きの私が、パラオの海の映像を見てひと目惚れし、何年も前から行きたいとずっと願っていたからだ。

 

グアムやハワイと違って、ホテル以外はほとんど観光地化されておらず、手つかずの自然に溢れるパラオは、本当に素敵な場所だった。

そこでの滞在中、島をぐるっと一周し、ボートに乗ってワニを見に行くというツアーに私たちは参加した。

 

ツアーがひと通り終了すると、そのツアーを主催している人たちの事務所のようなところでバーベキューをする。そこでは犬が2匹飼われており、さらにフルーツバットというコウモリまで、餌付けして放し飼いにされていた。

 

そして。

 

なんと、猫もいた!!

城と茶色のハチワレで、外国の猫らしく青い目をしている。あまりいいものを食べさせてもらっていないのか、実家の愛猫とは比べ物にならないほどほっそりしていた。

 

その子がニャーニャーと鳴きながら近づいてきたので、抱き上げてみるとちっとも嫌がる素振りがない。それどころか、喉を鳴らして喜んでくれる。

 

名前を聞くと、『セクシーちゃん』というそうだった。

なるほど。確かにしなやかで、セクシーな雰囲気がある。

 

自分に懐いてくれる猫なんて本当に珍しいので、私はこのセクシーがとても気に入った。

だからそこにいる間、ほとんどずっと抱っこしていた。

 

こんなに可愛いのに、他のツアー客は彼女に見向きもしない。

中には私が抱いて歩いていると、「私、猫アレルギーなんだよね…」と嫌な顔をする女までいる始末だ。

 

草木がボーボーの場所で放し飼いにされているため、清潔な室内で飼われている猫に比べると、セクシーはちょっと汚れている。

だからあんまり触ってもらえないのだろうなと思った。ひょっとすると、汚いと言って追い払われることも多いのではなかろうか。

 

そう考えていたら、彼女が不憫になった。

だいいち、いかにも適当な飼い方だし(あくまで日本の感覚からすれば、だが)、あまり可愛がられていないようにも見える。

うちの実家の猫なんか、飼い主に平気で反抗するのに、毎日おやつをもらって、でかい図体を大の字にして寝転がっているというのに。なんという差だろう。

 

無性に切なくなってきて、私はこのままセクシーを日本へ連れて帰りたくなった。

しかし、さすがにそれは現実的ではない。手続きの仕方がわからないし、検閲はどうするのか。

それに可愛がられているように見えないといっても、実際のところはわからない。この子をくれと言っても、断られる可能性だってある。

 

バーベキューを食べながら散々悩み、私はセクシーを連れて帰るのは諦めた。

でも、

 

『ここには動物病院もないし、栄養価の高いキャットフードもない。この子はたぶん、長生きできないだろうなあ』

 

と思い、別れる際、彼女を抱き上げて心の中でこう言った。

 

『もし死んじゃったら、あなたさえよければ、海を越えて私のところにおいで』

 

後ろ髪を引かれるとは、まさしくああいうことを言うのだろう。

軽い体を床に下ろし、バイバイ、と手を振るとき、苦しくて仕方なかった。

 

セクシーはこちらを追いかけてくるでもなく、ただこちらをじっと見ている。

振り返ったらもっと辛くなる気がして、背中を向けた後、私は一度も振り向かずにそこを去った。

 

 

 *

 

 

帰国後もしばらくセクシーのことを思い出す日が続いていたけれど、仕事をしながら家のこともする生活は予想以上に忙しく、過ぎたことを振り返る余裕がなくなっていった。まさに『忙殺』と呼ぶにふさわしい。

 

そんな生活を続けて1年が過ぎ、初めての結婚記念日のことだ。

その日はたまたま日曜日で、私も主人も仕事が休みだったので、お気に入りのフレンチレストランを予約し、久々にゆっくりデートした。

 

暗くなってから、ふたりともほろ酔いで帰ってきたとき。

家の近くに、一匹の猫がちょこんと座っているのが見えた。

 

初めて見る子だった。先述のとおり野良猫の多い場所だったので、よく見かける猫の姿は覚えていたのだ。

黒白のハチワレで、よく見ると少し小さい。子猫から大人になりかけている段階のような印象を受ける。

 

私を見ると逃げ去っていく猫ばかりがいる中、なんとその子は小走りで近づいてきて、家のほうへ向かう私たちの前を先導するように歩きはじめた。

足を止めると、ニャ~と鳴いて尻尾を巻きつけてくる。

 

あまりの人懐っこさに、どこかの家の猫が逃げ出してきたのではないかと疑った。

なんにせよお腹を空かせているように見えたので、そのときは餌だけ与えて、しばらく様子を見ることにした。

 

そしたら次の朝、出勤前にその猫が再び現れた。

メールで主人にそのことを知らせたら、主人が家を出たときも、大喜びで駆け寄ってきたという。

 

そのときふと、あの子は運命の猫なんじゃないか、と思った。

でも野良にしてはあまりにも懐っこすぎるし、やっぱりよその家の子ではなかろうか。そのことが引っかかって、なかなかうちの子にする決心がつかなかった。

 

けれど、次の日も、また次の日も、その猫は現れ、可哀想だから餌を与えるというのが数日続く。

そうしているうちに、

 

「仮によその家の子だとしても、放し飼いにして、あんなにも飢えさせているのはまともな飼い主ではないよなあ…」

 

と思うようになってきた。

また、

 

「私にしたって、餌だけ与えているのは無責任だ。もしあの子が妊娠でもしたら、一気に野良猫が増えてしまうわけだし。それに数年もすれば、今住んでいるところは引っ越すだろう。そうなったらあの子を放っていくことになる。そんなことできる? いや、できん」

 

とも考えた。

つまりだんだん、保護して飼う気持ちが固まってきたわけである。

 

主人と話し合い、「あの子を飼いたい」と正直に告げた。

すると主人も、そういう気持ちになってきていたようだった。餌をあげた後、家に帰る私たちをじっと見ているのが、後ろ髪を引かれて仕方なかったという。

 

そう決まれば話は早い。

次の休日、私は昼間からその子を探した。すると、物陰で涼んでいるのをあっさり見つけ、買ってきたオモチャを見せたら喜んで走ってきた。

 

本当に野良猫なのだろうか…と、また疑念が湧いたが、数日間観察し続けた結果、やはり完全な野良であることが判明している。

他の野良猫はみんな警戒心が強いのに、なぜこの子だけがこんなに人馴れしているのかは、ただただ謎でしかなかった。

 

そうして無事捕獲して家に連れて帰ると、さすがに驚いたのか、家の中でしばらく鳴きまくっていた。

落ち着かせるため抱っこし、

 

「今日から一緒に暮らしたいなと思うの。うちの子になってくれる?」

 

と問いかけたら、

 

「ニャッ」

 

と可愛らしく鳴き声を出す。

 

え、今返事したよね…? と驚きつつ、まずお風呂に入れることにした。

いくら人懐っこいとはいえ野良猫なので、さすがにお風呂は嫌がるだろうと、負傷も覚悟していたのだが、全く鳴かずに大人しくシャンプーとドライヤーもさせてくれた。

ご飯をあげるとしっかり食べるし、家の中を大人しく探検している。

 

さらに驚いたのが、夜寝るとき、私たちの布団の間にやって来て一緒に寝はじめたことだ。

まるで前から家にいたかみたいに、初日からあっさり馴染んでくれた。以前からうちに来ることが決まっていたかのようだ。

 

 

しばらくして、ちゅらと名付けたその猫との生活に慣れてきた頃。

ふと新婚旅行の思い出に浸りたくなり、アルバムを取り出した。するとそこに、パラオで出会った、あのセクシーの写真があった。

 

「そういえばいたなあ、こんな可愛い子。家に連れて帰りたくて仕方なかったんだよねえ」

 

としみじみ思った後、「ん?」となった。

よく見ると、ちゅらによく似ている。色は違うけれどハチワレだし、しなやかでほっそりとした体型もそっくりだ。

 

するとそのとき、唐突に思い出した。

別れ際、セクシーに『もし死んじゃったら、海を越えて私のところへおいで』と言ったことを。

 

まさか――。

 

見れば見るほど、ちゅらとセクシーの姿が重なる。

名前だって、ちゅらというのは沖縄の言葉で『美しい』という意味だ。セクシー=魅力的という意味と似通っている。

 

それに、もしちゅらがセクシーの生まれ変わりだとしたら、野良猫なのに人懐こく、あっさり我が家に馴染んだのも納得できる。私と一緒に暮らすために、わざわざ来てくれたのだかもの。すぐ仲良くなれて当然だ。

 

「ちゅらちゃん、ひょっとしてセクシーちゃんなの?」

 

そんな問いかけに、言葉の喋れないちゅらが返してくれるはずはない。

でも、新婚旅行先で出会ったセクシーが、私たちの結婚記念日を選んでわざわざ会いに来てくれた。それが答えな気がする。

 

「本当に来てくれたんだねえ」

 

目の前の奇跡があまりにも素晴らしくて、感動して涙が出た。

同時に、思ってた以上に早く死んじゃったんだね…とも思ったが、それは言わなかった。

 

 

もちろん、真実はどうかわからない。現地に連絡をして、あの後セクシーがどうなったのか聞いたわけでもないし。

それでもなんとなく、私の中に確信があるのだ。

 

私が家を出て、初めて自分の責任で迎えた子は、そんな奇跡の猫だった。

残念なことに、ちゅらはもともと心臓に疾患のある子だったようで、3歳11カ月という短い生涯を遂げたけれど。

ちゅらが見せてくれた奇跡と、一緒に過ごした日々は、生涯消えることのない美しい思い出だ。

 

そして今うちで飼っているハチワレのメス猫は、ちゅらとものすごくそっくりな性格と鳴き方をしている…。

 

ペットとの出会いは、こうした奇跡のオンパレードなのかもしれない。

神の作りし造形美と、私は常々猫のことをそう思っているが、それ以前に彼らの存在そのものが、神の与えた奇跡なのだろう。

 

 

 

 

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